しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

高校野球と甲子園

2020年甲子園高校野球交流試合が、

昨日17日に終了したことを受けた書かれた、今日の日経新聞スポーツ欄の記事には、

次のような印象深い記述がありました。


『敗れて涙する選手が少なかったのは、勝者にも次戦はないという条件の等しさもあるだろう。

 一戦に全てを懸ける意味では全チームが決勝のつもりで戦ったともいえ、

 単なる交流試合がトーナメント戦に劣らぬ熱を帯びたのもうなずける。

 勝利が次の試合につながらないむなしさを感じた選手は多かったはず。

 ただ、たった1試合だからこそ、甲子園に立つ夢がかなった喜びはひとしおだったともいえる。

 仙台育英(宮城)に勝った倉敷商(岡山)の梶山和洋監督は

 「勝ち上がれる大会よりも価値があるのでは。

 (1試合しかなく)モチベーションが下がる可能性のある大会。人間力がなければ勝てない」と語った。』


新型コロナウイルスの感染防止へ、球場での観戦は選手の家族ら一部に限られた。

 出場校の大応援団で埋まるはずだったアルプス席は、

 ファウルボール回収のため2人一組で配置された各チームの野球部員がぽつんと座っているだけだった。

 それでも星稜(石川)の林和成監督は

 「甲子園は甲子園。観客はいなかったが、温かく迎え入れてくれた」と話した。

 閑散としていながらグラウンドに立つ者に寂しさを感じさせない。

 それだけの包容力が甲子園の器にはあるということか。』


父と弟の三人で観戦した、昭和41年の「中京商業」と「松山商業」の決勝戦

父方の叔父と二人で観戦した、昭和44年の「松山商業」と「三沢」の延長再試合の決勝戦

松山商業が負けた試合も勝った試合も、

甲子園球場に足を運んで、この目で観た試合は、生涯忘れることのない試合です。


今回の交流試合は無観客で、しかも各チーム一試合しか行われなかったけれど、

記事に書かれていたように、選手の皆さんは、憧れの聖地「甲子園」で一所懸命にプレーしていました。

そこには、勝者も敗者もいなかったように思います。

コロナ禍のなかで開催された交流試合が終わって、「高校野球」と「甲子園」の魅力を再確認した次第です。