太陽はまだまだギラギラと輝いているけれど、肌に感じる風は随分と涼しくなりました。
さて、『昭和16年夏の敗戦〈新版〉』(猪瀬直樹著:中公文庫)を読了しました。
『12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、
しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。
戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。
だから日米開戦はなんとしてでも避けなければならない。』
本書は、昭和16年の夏に「総力戦研究所」が、
全国各地から集められたエリートたちの真摯な議論と研究の末に到達した、上記の内容の結論に反して、
なぜ日本が敗戦必死の開戦へと突き進んでいったのか、そのプロセスを見事に描いたものですが、
読後に一番印象に残ったのは、「我われの歴史意識が問われている」と題した「新版あとがき」の、
著者による次のような記述でした。
『‥‥1941年の夏に存在した、限られた時空を再現することができたのは、
文書による記録と記憶による証言の賜物である。
我われは条件さえ整えば、いつでも歴史から学び、教訓を得ることができるのだ。
そして、いま現在起きていることを記録し、未来へ転送することもできる。
僕は1983年に刊行した本書の単行版あとがきに、
「大上段に歴史意識などという言葉をふりかざす前に、記録する意思こそ問わなければならぬ」と書いた。
しかし残念ながら日本では、現代においても「記録すること」が軽視されているように思えてならない。
~ (中略) ~
そして2020年5月現在ーー。日本は新型コロナウイルスの脅威に直面している。
政府も国民も一体になって事態を切り抜けなくてはならない。
この文字通りの国難は「歴史的緊急事態」に該当すると閣議で指定された。
緊急事態における意思決定のプロセスは、刻々と変遷する情勢につねに対応できるよう、
文書化され記録される必要がある。‥‥』
また、著者は、「アメリカ国立公文書館」を例に挙げ、「歴史から教訓を導く」という考え方は
「近代のひとつの思想なのだと痛感させられた」とも述べられていました。
新型コロナウイルスという未曽有の国難に直面している日本‥‥。
この国難を、政府と国民はどのように乗り越えようとしたのか、何が正しくて、何が間違っていたのか、
「記録と記憶」が未来の世代に「正しく」伝わり、それが教訓として生かされることを、
今を生きる私は切に願うばかりです‥‥。