今月20日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、ジョン・ダワーの
「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、
突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『何もかも失った時、人はあらためて何がほんとうに大事だったかを知る。
それはすべてを一から考えなおす「スペースが生まれる」ことでもあると、
米国の日本史研究者は言う。
が、「もたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまう」と警告する。
インタビュー「歴史的危機を超えて」(本紙2011年4月29日朝刊)から。』
う~む、なるほど‥‥。
すべてを一から考えなおす「スペースが生まれる」ですか‥‥。それにしても、上手い表現ですね‥‥。
そのせっかく生まれた「スペース」が閉じる前に、
個々人の場合も、何らかのアクションを起こすことが大切なのでしょうね。
このコラムを読んで、
生涯に一度訪れて二度とめぐってこない唯一無二の時「カイロス」を思い出しました。
前頭部には長い髪、後頭部は禿(はげ)という姿をしていて、
カイロスが前からやって来る時は、その前髪をつかんで捕まえることができるけれど、
いったんカイロスが通り過ぎてしまったら、後から捕まえることはもうできないそうです。
「スペース」=「カイロス」を見逃すことなく、新たなアクションにつなげるのは、
国家だけでなく個人にとっても、容易なことではないのでしょうね、きっと‥‥。
私も、人生において何回も、この「スペース」=「カイロス」を見逃してきたのだと思います。(反省)