今日11日は、松山市で晩年を過ごした漂泊の俳人、種田山頭火の没後80年の命日。
愛媛新聞には、1ページ全面の特集記事が掲載されていました。
記事には、NPO法人「まつやま山頭火倶楽部」太田事務局長さんの
「今、お薦めの3句」とその解説が掲載されていました。
とても魅力的な句なので、この日記に書き残しておこうと思います。
・「濁れる水の流れつつ澄む」
一草庵のそばを流れる川を見て詠んだ一句で、俳句を「叙景的叙情詩」と表現した
山頭火の本質に触れる。何事もそこでとどまってしまえば変化はない。
いつか心が澄み切る日を信じて進もうという前向きなメッセージが込められている。
・「てふてふひらひらいらかをこえた」
小さなチョウが法堂の屋根を越えていく姿に何を思うか。
山頭火は死に場所を探すために出発した旅の終盤、
ちゃんと生きなくては、ちゃんと死ねるわけがない。生への執着の芽生えを感じる魅力的な一句。
・「ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ」
道端に根を張るタンポポの姿を単純に切り取ったようだが、
先の2句と同様に深い叙情が感じられ、個人的にも好きだ。
どんなに踏みつけられても、花を咲かせるタンポポ。この苦しい時代にもそんな気概は持っていたい。
山頭火の句にはやはり時代を超えて響く強さがある。
う~む、なるほど‥‥。これらの自由律俳句は、このように鑑賞するのですね‥‥。
分かりやすい解説を読むことによって、山頭火の魅力が少し理解できるようになりました。
そして、この記事の最後には、同倶楽部の藤岡理事長さんが、次のようなことを述べられていました。
『私たち研究家の責任ではあるが、山頭火の本当の姿は、まだそれほど知られていないように思う。
多くの人が抱くのは、ロイド眼鏡にすげかさをかぶったいでたちや、
酒を飲んで道路で寝てしまうイメージだろうが、それは一面でしかない。
実際は、早稲田大学に1期生で入学するほどの秀才で、
ロシア文学の翻訳をこなすなど極めて高い文学性も持った人物だった。
本質的な部分が見過ごされているように感じるし、
そこを煮つめていく研究の余地はまだ残されている。私たち世代に残された時間は少ない。
次世代の研究家たちにもうまく引き継いでいかなければならない。』
『俳句の聖地「愛媛・松山」吟行ナビえひめ』のHPを閲覧すると、
愛媛には「分け入っても分け入っても青い山」など、山頭火の句碑がたくさん残っているようです。
完全リタイア後には、「句碑めぐり」でもしましょうか‥‥?身体が元気なうちに‥‥。