しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「探梅」という題のコラム

昨日の朝日新聞一面コラム「天声人語」(デジタル版)は、「探梅」という題のコラムでした。

私は、このような内容のコラムが大好きなので、その全文をこの日記に書き残しておこうと思います。


『早咲きの梅を求め、山野を巡ることを「探梅(たんばい)」という。

 山や野とはいかずとも、近所を歩き探したくなる季節になった。

 咲き始めの一輪、二輪がうれしいのは、冬から春への架け橋に立った気分になるからだろう。

 中国や日本の絵画で、梅は蘭(らん)、竹、菊とともに「四君子(しくんし)」と呼ばれる。

 気品があり、高潔なところが君子のようだとされ、好んで描かれたという。

 先日ラジオで耳にした漢詩も、そんな雰囲気を伝えていた。

 〈庭上(ていじょう)の一寒梅(いちかんばい)/

 笑(え)んで風雪(ふうせつ)を侵(おか)して開く/

 争わず また力(つと)めず/

 自(おの)ずから百花(ひゃっか)の魁(さきがけ)を占(し)む〉。

 風雪をしのぎ、微笑(ほほえ)むように咲く。決して無理することなく。

 同志社英学校を開いた新島襄の「寒梅」である。

 この冬、北国では例年にない風雪を耐え忍ぶことになった。

 高齢化が進み、屋根の雪下ろしもままならない、そんな地域も多かったに違いない。

 温暖化は不意のドカ雪ももたらすというから、災害対策としての構えが必要になる。

 民俗学者として東北を歩いた柳田国男に「雪国の春」の文がある。

 「嵐、吹雪の永い淋(さび)しい冬籠(ふゆごも)りは、

 ほとほと過ぎ去った花のころを忘れしめるばかり」

 「ようやくに迎ええたる若春の喜びは、南の人のすぐれたる空想をさえも超越する」。

 春への思いの強さは雪の深さに比例するのかもしれない。

 自分の周囲の季節感をもとに、花や生き物を書くのを申し訳なく思うことがある。

 春まであと一歩、二歩、いやまだ歩き出してもいないという地域でも、それぞれに春を待つ人がいる。』


はぃ‥、コラムニスト氏の「深い教養」と、

「自分の周囲の季節感をもとに、花や生き物を書くのを申し訳なく思うことがある。」という文章から、

「謙虚な姿勢」と「他者への思いやり」が自然と伝わってきます。

このような秀逸なコラムに、年に数回でも出合えることができる限り、

朝日新聞デジタル版の有料会員(シンプルコース)を続けようと思っています。