しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「能力主義の代償」を考える

今日の日経新聞文化欄に、テレビ番組「ハーバード白熱教室」で知られる

米国の公共哲学者、マイケル・サンデル教授へのインタビュー記事が掲載されていました。

サンデル教授の新刊邦訳「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(鬼澤忍訳、早川書房)が、

今日14日に刊行されるとのことで、その著書では、

「人は出自によらず努力と才能次第で成功できるという考え方が暴走し、

エリートに傲慢を、その他大勢に屈辱を生む」と指摘しているそうです。

記事における主な質疑応答は、次のような内容でした。


Q 米国ほどではないにしても、日本にも能力主義偏重の傾向はあります。

  弊害をなくしていく方法はありますか。

A カギは労働の尊厳の回復だろう。高い給料の仕事だけでなく、全ての仕事への尊厳を高めることが大切だ。

 人生で最も大きな欲求の一つは、他人に必要とされることだが、

 市場主導のグローバル化がもたらした不平等によって、

 社会の多数を占める労働者が自らの仕事に敬意が払われていないと感じている。

 我々は学位の有無にかかわらず、よい生活が送れる社会をつくるべきなのだ。


Q 能力主義の恩恵を受けた人々に能力主義の負の側面を伝えるのは、難しさを伴いませんか。

A この本が非常に挑戦的であることは認める。

 私自身の大学(米ハーバード大)が果たしてきた能力主義に基づく選別機能についても批判的に書いたが、

 成功者に自らの成功について再考を促すのは簡単ではない。

 ただ、彼らもまた、競争社会の中で親からの期待の重圧などで傷つき、

 精神的な不安を抱えていることが多い。これは日本でも見られるのではないか。

 過当な競争で敗者と勝者を分け、置き去りにされた人が怒りに苦しむだけでなく、

 成功者でさえ傷つくのが能力主義の代償だ。


Q この春新しいスタートを切った大学生、新社会人にメッセージを。

A 世界的なパンデミックのさなかでも、始まりの季節には希望がある。

 自分たちがどうやってここまで来られたかを振り返り、謙虚さを忘れず、

 私たちは共同体として互いに支え合っていることを認識してほしい。


このなかの「我々は学位の有無にかかわらず、よい生活が送れる社会をつくるべきなのだ」や

「世界的なパンデミックのさなかでも、始まりの季節には希望がある」という言葉は、

発せられた言葉の背景は違っていても、昨日この日記に書いた、

守屋淳さんの「幸せに暮らしていける社会を創る」や

「視点を未来に置く」という言葉に、どこか通じるものがあると感じました。


ところで、日本ではトランプ氏を大統領に選出したアメリカのように、

学歴偏重主義と能力主義によって、社会の分断が起こる、いや、すでに起こっているのでしょうか‥‥?

ふと、NHKテキスト100分de名著で岸政彦さんが解説された、

ブルデューの「ディスタンクシオン」のことを思い出しました。