今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、次のような文章で始まります。
『2年前のきょうは「平成」最後の日だった。南海上に前線が延び、列島はあいにくの雨もよう。
それでも、各地ではさまざまなイベントに歓声が上がり、入園を無料とした遊園地がにぎわいをみせた。
記念の御朱印目当てに、著名な寺社には傘の長い行列もできていた。
「思えば遠く来たもんだ」。中原中也の詩の一節である。
ふたとせ前の記憶と今の世を比べて、詩人と同じ感慨にふける方も多いのではないか。
新しい時代が来る、というかすかな高ぶりは、はるか以前のことのように感じる。
新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴う社会の動揺があまりに激しかったせいであろう。‥‥』
はぃ‥、コラムニスト氏ご指摘のように、
「令和」という時代が、まさかこんな困難な時代になろうとは、2年前には夢にも思いませんでした。
ところで、中原中也の詩には、「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる‥‥」もあります。
NHKテレビテキスト、100分de名著「中原中也」を読み返してみると、
「人は誰でも、忘れてしまいたいような悲しい思いを一度ならず繰り返して生きていることと思います。
そうした悲しみも、小雪とともに、風とともに、静かに浄化されていく。‥‥」という解説がありました。
悲しみを浄化する「小雪」や「風」は、今でいえば「ワクチン」でしょうか‥‥?
新型コロナウイルスという災厄から浄化される日が、いつか必ず来ることを、
自助努力を重ねつつ、我慢強く待ち続けたいと思います。
ところで、今日は一人娘の誕生日です。
今年も、庭の塀に沿って、スズランの花が律儀に咲いてくれました。
「昭和」、「平成」、「令和」と時代が変わっても、
まるで娘の成長を見届けるように白く清楚に咲く花は、
「希望」という二文字を、変わることなく私に与えてくれます‥‥。