サマセット・モームの長編小説「人間の絆(上)・(下)」(中野好夫訳:新潮文庫)を読了しました。
日経新聞読書欄「リーダーの本棚」で、長谷川眞理子・総合研究大学院大学長が、
この本を愛読書の一つに挙げられ、『多感な時期にはまったのがサマセット・モームの「人間の絆」。
主人公が成長過程で葛藤する姿が我が事のようにうれしく、楽しく、涙しました。』
と書かれていたことが、購読の動機です。このお言葉のとおり、感動的な本でした。
昔読んだロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」と同じくらいに‥‥。
私も、若い頃に読んでおけばよかったと少し後悔しています。
なお、訳者の中野好夫さんによると、「人間の絆」という題名の出所は、
スピノザの「エチカ」であるとし、次のように解説されていました。
『‥‥かくして主人公ケアリの半生は、絆に縛られた一人の人間が、やがて絆を断ち切って、
自由な主人たる人間になるまでの発展である。
では、フィリップ・ケアリにとって、その人間の絆とは何であったか。
彼の少年時代の不幸も、青年時代の悩みも、これを要約すれば、
人生の幸福という、情念が勝手につくり上げた幻影への空しい追及にあったといえよう。
しかも彼は、いたるところ幸福の追求に敗れる。
そして疲れ、やつれた旅人のように、彼が最後に到達したものは、
古い無名の暮石と、無心のペルシャ絨氈が暗示したくれた一つのニヒリズムであった。
それは彼がこれまで設定していた、もろもろの価値一切の空しさということであった。
そしてまたこうした空しいものの中に、幸福を追求して来たことの空しさであった。‥‥』
う~む、なるほど‥‥。「幸福を追求して来たことの空しさ」ですか‥‥。
ただ、本書の最後の部分には、次のように、心の琴線に触れるような文章もありました。
『‥‥いわば彼は、未来にばかり生きてきて、かんじんの現在は、
いつも、いつも、指の間から、こぼれ落ちていたのだった。
彼の理想とは、なんだ? 彼は、無数の無意味な人生の事実から、できるだけ複雑な、
できるだけ美しい意匠を、織り上げようという彼の願いを、反省してみた。
ただ、考えてみると、世にも単純な模様、つまり人が、生れ、働き、結婚し、子供を持ち、
そして死んで行くというのも、また同様に、もっとも完璧な図柄なのではあるまいか?
幸福に身を委ねるということは、たしかにある意味で、敗北の承認かもしれぬ。
だが、それは、多くの勝利よりも、はるかによい敗北なのだ。‥‥』
さきほど、「若い頃に読んでおけばよかったと少し後悔しています。」と書きました。
一方で、「人生の辛酸を嘗めてから、初めて共感・理解できる生き様」というものもあります‥‥。
- 作者:モーム
- 発売日: 2007/04/24
- メディア: 文庫