お盆を間近に控え、今日は午前中、先祖のお墓にシキビを供えてきました。
午後2時過ぎから雨が降り始めたので、午前中に済ませておいて正解でした。
さて、今月9日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、コラムニスト・天野祐吉さんの
「貧しい言葉で豊かな明日を語るくらい、人びとをシラケさせるものはない。」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『昨今の政治家や官僚はほとんどが書き言葉で語る。用意した原稿を読み上げて終わり。
伝えたいという熱がこもらない。たまに芝居っけたっぷりに熱く語る例外があっても、
「改革」や「安心」という語が呪文のようにまき散らされるだけ。
こういう空虚や熱狂を介さずに〈声〉が聞ける政治家の言葉を編集者・コラムニストは求めた。
「天野祐吉のCM天気図 傑作選」から。』
う~む‥‥。「貧しい言葉で豊かな明日を語る」ですか。もう何も申し上げることはありません。
「〈声〉が聞ける政治家の言葉」を求めるのは、所詮、「無理な注文」なのでしょうか‥‥?
ちなみに、天野さんは、中学・高校時代を松山市で過ごし、私と同じ高校の卒業生のようです。
ですから、今回のお言葉にも、親近感を覚えながら目を通した次第です。
追記
「夏の甲子園」で、横浜高校が広島新庄高校にサヨナラ勝ちするシーンを観ました。
9回2死からのスリーランホームランです。一球の怖さを思い知りました。
野球は試合終了まで、何が起こるか分からないものですね‥‥。