昨日降った雨が止んだ今日は、吹く風が冷たく、肌寒い一日となりました。
極端に寒がりの私には、「立春」までの試練の日々が続きます‥‥。
さて、今月7日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、文化人類学者・松村圭一郎さんの
「ムダを排除した効率性にもとづくシステムはいざというときに脆(もろ)い。」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『共同生活の仕組みにためがないと、工夫を凝らす余地もなく限界に行き着くと、文化人類学者は言う。
制度変更やコスト削減といった決断を下すだけの「政策」は「政治」ではない。
「政治」とは、意思決定の手前で人々の間の関係や場を「豊かに耕しておく」ことだと。
危機に際してどんな選択肢を用意できるかもその積み重ねに懸かっている。
「くらしのアナキズム」から。』
う~む、なるほど‥‥。
「ムダを排除した効率性にもとづくシステムはいざというときに脆い」という言葉は、
なんとか理解できます。
でも、共同生活の仕組みにおける「ため」とは、どんなことを意味するのでしょう?
そして、意思決定の手前で人々の間の関係や場を「豊かに耕しておく」とは、
具体的にはどんなことをすればいいのでしょう?
雰囲気的には理解できるのですが、私には具体的に言葉にして明確に答えられる知恵がありません。
政治家の先生方には、「それ」が分かるのかしら‥‥?
いずれにしても、いろいろと考えさせられる「折々のことば」とその「解説」でした。