しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

後ずさりしながら未来に入る

時節柄というか、今、朝刊を開いて真っ先に目を通すのは、

「国内の新型コロナウイルス感染者」の一覧表です。

17日はどうだったかというと、東京都の新規感染者は、今年最少の40人で、

ずっと高止まりしていた沖縄県も、一桁の7人という状況でした。


ようやくここまで‥、という感想を抱いたのですが、

今日の日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。

その全文を引用させていただきます。


『人がウイルスの存在を知らなかったころ、

 流行(はや)り病は突然やってきて、どこかへ消え去るものだった。

 大正期に流行したスペイン風邪について、菊池寛はこんな風に書き留めた。

 「もう、流行性感冒は、都会の地を離れて、山間僻地(へきち)へ行った」(「マスク」文春文庫)。

 あたかもちりが吹き払われるように、ウイルスが風に乗って移動するわけはない。

 とはいえ澄んだ秋晴れの空を見上げていると、

 夏場に猛威を振るっていた「第5波」が、入れ替わる大気と一緒に運び去られた気がしてしまう。

 感染の拡大に警鐘を鳴らしていた科学者も、思いのほかの激減ぶりに理由を説明できずにいる。

 この現象をウイルス側から眺めれば、答えが導けるとの説がある。

 ワクチンなどに対抗して変異を急ぎすぎると、勢いで自滅するというのだ。

 もとはノーベル賞学者が半世紀前に唱えた理論。破滅を意味する「カタストロフ」の異名をとる。

 荒唐無稽にも聞こえるが、いま不思議な説得力を帯びて、巷間(ちまた)に流布しつつある。

 コロナと共に過ごす年月、私たちは未来の予測がいかに難しいかを思い知った。

 科学と技術がどれだけ進歩しようとも、仏詩人ポール・ヴァレリーが残した名言のごとく

 「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」。見えているのは今と過去だけ。

 感染激減でも手放しで喜べない。慎重に足場を探りながらの歩みが続く。』


う~む、なるほど‥‥。「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」てすか‥。

けだし、名言ですね。

現代風に訳すると、コラムで言う「慎重に足場を探りながら歩み続ける」ということなのですね。

油断せず、心したいと思います‥‥。