先月29日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、キェルケゴールの
「絶望していないこと、換言すれば自分が絶望していることを意識していないことも
またまさに絶望の一つの形態である」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『何かについての絶望は本当の絶望ではない。
そうした絶望に囚(とら)われている自分にさらに絶望し、
しかもそこから眼(め)を背け、抜け出そうとするのが絶望の定式なのだと、
19世紀デンマークの思想家は言う。
時代の危機もおそらく同じで、危機を危機として受けとめる感覚の消失こそ真の危機なのだろう。
新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかかりません。
報道によると、新型コロナウイルスの感染者は今日も新規確認が相次ぎ、
午後6時点で全国で1118人、1千人を超えるのは4日連続とのことでした。
ところが、このような報道に慣れっこになったのでしょうか、私自身、あまり驚かなくなりました。
というのも、以前と違って、マスクや消毒液が簡単に手に入り、
買い物に行っても電車に乗っても、周りの人はマスク着用は当たり前で、
各自がそれなりに感染防止対策を講じているように思えるからです。
鷲田さんによれば、このような「危機を危機として受けとめる感覚の消失こそ真の危機」なのですね‥‥。
もう一度、国民が皆で緊張感を持たなければ、
取り返しのつかない事態になってしまうのかもしれません。(反省)