良く晴れて風もなく、穏やかな一日となりました。
「小春日の あり余る日の 影を恋ふ」(稲畑汀子)
ネットで「小春日」を検索すると、こんな句に出合うことができました。
さて、日経新聞一面で連載が続いていた『ニッポンの統治 危機にすくむ』は、今日が最終回でした。
「無気力と無責任の連鎖」「本末転倒の政治主導」という、目を引く見出しがあった記事には、
次のようなことが書かれていました。
『日本の政治主導に綻びが目立つ。細かな政策に固執し、国を揺るがす危機への判断は先送りする。
菅義偉内閣だった7月、政府が緊急事態宣言下で酒を出さないよう
金融機関から飲食店への「働きかけ」を求める通知を出したのが典型例だ。‥‥ ~(中略)~
‥‥戦後の経済成長を支えた官僚は1990年代、業界との癒着や不祥事で批判を受けた。
その官僚のお膳立てに乗るだけの政治家のふがいなさも責められた。
官僚の情報を基に政治家が判断を下す政治主導の流れが生まれた。
それ自体は間違った選択ではなかったはずだ。
ところが四半世紀たち、省庁幹部の人事を内閣人事局が握っても、閣僚は国会答弁を官僚に頼りがちだ。
地元会合の挨拶文をつくらせる議員さえいる。
こんな政治主導の下で発言権が弱まった官僚はやる気を失い、無責任がまん延する。
国のかじ取りを任されたはずの政治が思考を止め、将来ビジョンを描くはずの官僚は気概を失った。
政治も官僚も動かない本末転倒な状況に日本はある。
「なんでも言ってくれ。全ての責任は背負う」と官僚に呼びかけた田中角栄氏は
外務省を使って日中国交正常化を実現した。断交する台湾への説明には椎名悦三郎党副総裁を派遣した。
政治家が役人の知恵をくみ取り、責任は引き受ける土壌は失われて久しい。
官とのあるべき役割分担を踏まえて政治主導を立て直さなければ、次の危機でも同じことが繰り返される。』
う~む‥‥。
政治家であれ、企業の経営者であれ、「知恵をくみ取り、責任は引き受ける」リーダーや、
組織の土壌というのは、なかなか簡単に生まれてくる、あるいは育つものではないのでしょうか‥?
ところで、今日の報道によると、南アフリカの国立伝染病研究所などは、
同国で新型コロナウイルスの新たな変異ウイルスを確認したと発表したそうです。
ウイルス表面の突起状のたんぱく質「スパイク」に多数の変異が生じており、
高い感染力やワクチンが効きにくい免疫逃避のおそれがあるとのこと‥‥。
マーケットはこの報道に敏感に反応していましたが、感染が抑えられている状況が続いている日本にも、
「次の危機」がヒタヒタと迫ってくるような、そんな嫌な予感がします。