今日は梅雨の晴れ間が広がったものの、湿度が高く、とても蒸し暑い一日となりました。
マスクの着用が、日一日と重荷になりつつあります‥‥。
さて、今日の愛媛新聞に、「政治の器量~ウェーバー再考」と題して、
姜尚中・東京大名誉教授と菅義偉・官房長官との対談記事が掲載されていました。
対談の中身はもちろん読み応えがあったのですが、
私は、記事で引用されていた「職業としての政治」(岩波文庫)のウェーバーの言葉と、
「官僚」についての解説記事がとても勉強になりました。
まず、ウェーバーの言葉は、
『官吏にとっては、自分の上級官庁が~自分の意見具申にかかわらず~
自分には間違っていると思われる命令に固執する場合、
それを、命令者の責任において誠実かつ正確に
~あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように~執行できることが名誉である』
『政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性に関係をもった者は
悪魔の力と契約を結ぶものである』
『どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。
そういう人間だけが政治への「天職」を持つ』
次に、官僚についての解説は、
『マックス・ウェーバーは「職業としての政治」のさまざまなむ箇所で、
官僚(官吏)について触れている。
「生粋の官吏」は、行政を何よりも非党派的に遂行するよう求め、
「憤りも偏見もなく」職務を遂行すべきで、闘争に巻き込まれてはならない、と説く。
さらに近代的な官吏の特徴は、
自らの私欲のない証しとして培われた「高い身分的な誇り」にあると指摘。
「官吏として倫理的に極めて優れた人間は政治家には向かない」と、
政治家との違いを強調している。』
私も一応、地方公務員としての職業人生を生きてきました。
その間、「憤りも偏見もなく職務を執行したか?」
「自らの私欲のない証しとして培われた高い身分的な誇りがあったか?」‥‥。
自ら冷静に省みると、「忸怩たる思い」があります‥‥。