昨日は「彼岸の入り」でした。
「入り花」を避けて、今日、先祖のお墓にシキビをお供えしてきました。
昨日は冷たい雨が降り続き、今日も冷たい風が吹きました。
「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは」(子規)
『日めくり子規・漱石』(神野紗希著:愛媛新聞社)には、次のような解説があります。
『‥‥暑さ寒さも彼岸までというが、今日は寒いのう、と子規がつぶやくと、
母・八重が、毎年よ、彼岸の入りに寒いのは、と答えた。
その返答が五七五になっているのに気づいた子規が、逃さず一句に仕立てたのだ。‥‥』
そして、彼岸の入りの昨日は、松山大学や県立医療技術大学の卒業式が挙行されたそうです。
今日の日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。
『‥‥今春の大学や高校の卒業生は、それぞれのハイライトとなるべき2年間をコロナ下で過ごした。
「友人の顔もマスク姿しか記憶がない」と語る若者もいる。部活、合宿、修学旅行、学園祭、留学。
相次ぐ中止に思い描いた学園生活とは遠かった人が大半だろう。
自由だった上の世代と比べ、悔しい思いを抱くかもしれない。
だが実はいつの若者も何かやり残した気分で卒業し、それを仕事などの原動力にしたのではないか。
学びも遊びもこれから十分楽しめる。
そうは言っても振り返るとむなしいという人にモンテーニュの言葉を贈る。
「『今日はなにもしなかった』。とんでもない言いぐさだ。
あなたは生きてきたではないか」(宮下志朗訳)』
「あなたは生きてきたではないか」‥‥。
どうやらこの後は、「それこそが、あなたの仕事の基本であるばかりか、もっとも輝かしい仕事なのに。」
と続くみたいです。
昨今の世界情勢に思いを馳せるとき、このモンテーニュの言葉がズシリと胸に響きます。
同時に、卒業生の皆さんに贈る、素晴らしいメッセージだと思います。