昨日は町立図書館に行って、6月26日(日)から7月2日(土)までの、
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この一週間で印象に残ったのは、6月26日の長田弘と6月27日の石垣りんの「ことば」でした。
それぞれの「ことば」と鷲田清一さんの解説は、次のような内容でした。
「「敵」をやっつけるのが戦争ですが、
壊れるのは自然であり、失われるのは生活であり、死ぬのは人間です。」
『その時、言葉もまた「人間のいない言葉」ばかりになると詩人は言う。
戦争が終われば勝者は戦争が解決だと確信する。敗者は戦争は解決でないと思い知る。
が、20世紀の後半に入り、各地で終わりの見えない紛争が続く。
それとともに経験をくみあげる言葉の力も弱っていないかと、詩人は危うんだ。
「すべてのきみに宛てた手紙」から』
「そこに私の希望がありました。昇進の労を必要としない女の身分に満足したのです。」
『1934(昭和9)年に14歳で就職し、55歳での定年まで銀行の事務職員として勤め上げた詩人は、
使われる者として、女性として直面した圧倒的な格差を、
昇進しないですむのを良しとすることで凌いだと言う。
無闇な「忠義」がときに人としての判断を曲げるのを避けえたからとも。
自らを「売り渡さないですむ心情」で無念を乗り切った。随想集「ユーモアの鎖国」から。』
はぃ、どちらの「ことば」とその解説も、とても重みがあります。
特に、「自らを「売り渡さないですむ心情」で無念を乗り切った」という文章表現は、
なんと言ったらいいんでしょう、「凛」(ほかの言葉が思いつきません)としたものを感じました。
ところで、同じ一面コラムの「天声人語」は、ざっと目を通しただけでした。
私の感覚がおかしくなっているのかな‥‥?