しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

言葉という「シェルター」

月末の昨日は休館だったので、今日、町立図書館に行って、1月21日(日)から27日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。

まず、1月23日(火)は、ロバート・キャンベルさんの

「言葉もシェルターになれるのではないか」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『ロシアによる侵攻下のウクライナで呟かれた言葉の数々にふれ、

 それを語った人たちを現地に訪ねた日本文学研究者は、言葉が、暴力には無力であっても、

 一人ひとりの杖に、時に飲料水にも、屋根にもなるのを間近に見た。

 彼が訳した詩人・スリヴィンスキーの「戦争語彙集」には、

 「我々の空は肉体のように裸で、無防備です」との語りも引かれている。同書の解説から。』


はぃ、確かに言葉は「シェルター」になり、だからこそ私は、

その「シェルター」としての言葉を、この「折々のことば」をはじめ、

本や新聞・雑誌、歌詞などの媒体に求め続けています‥。


しかし一方で、人が発する言葉は時に、

まるで「ミサイル」のような「暴力そのもの」になって、人を深く傷つけることもあります‥‥。