今日は、町立図書館に行って、10月30日(日)から11月5日(土)までの、
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この一週間で印象に残ったのは11月4日(金)、フランシス・ベーコンの
「正気を失わずに、ただ信仰に属するところのもののみを信仰にゆだねるなら、
それはたいへん健全である。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『経験より先に概念に合わせること、少数の例から推し量ること、密(ひそ)かに虚妄を忍び込ませること。
この三つが人の思考を歪(ゆが)めると、17世紀英国の哲学者は書く。
とくに第三の点は社会生活についてもいえよう。
「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に」とマタイの福音書にも記すように。
「ノヴム・オルガヌム」(服部英次郎訳)から。』
う~む‥‥。
鷲田さんの解説中、「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に」とは、
「神への服従と国家に対する義務とは次元の違うものであって、両者をともに守ることは矛盾ではない、
と説いたキリストの言葉。本来の持ち主に返せ、の意にも用いられる。」とされていますが、
これとベーコンの「ことば」とは、どんなつながりがあるのでしょう?
考えても私にはよく分かりませんでした‥‥。(トホホ)
追記
読書週間が始まった10月30日(日)の「天声人語」には、次のような文章がありました。
『読書とは、時空を超え、他者と離れ、自分だけのひそかな通信を著者と交わす行為なのだろう。』
『読み終わった本はカバーをはずし、自宅の本棚に並べる。自分はあとどれだけの本に出会えるのか。
「秘密の事柄」をいくつ重ねられるのか。秋晴れの広がる週末に一人思う。』
コラムニスト氏と同様に、最近、私も
「自分はあとどれだけの本に出会えるのか。」と自問することが多くなりました。
本を読んで、自分の知らない世界にもっと触れてみたいけれど、
残念ながら、人生における残された時間は、次第に少なくなっていきます‥‥。