『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎著:新潮文庫)を読了しました。
「なぜ人は退屈するのか?」
その答えは、付録「傷と運命」(『暇と退屈の倫理学』増補新版によせて)で、次のように書かれていました。
『‥‥人はサリエンシーを避けて生きるのだから、サリエンシーのない、安定した、安静な状態、
つまり、何も起こらない状態は理想的な生活環境に思える。
ところが、実際にそうした状態が訪れると、
何もやることがないので覚醒の度合いが低下してDMNが起動する。
すると、確かに、周囲にはサリエンシーはないものの、
心の中に沈殿していた痛む記憶がサリエンシーとして内側から人を苦しめることになる。
これこそが、退屈の正体ではではないだうか。
絶えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことも耐えられないのは、
外側のサリエンシーが消えると、痛む記憶が内側からサリエンシーとして人を悩ませるからではないか。』
本書の表紙には、「2022年 東大・京大で1番読まれた本」と書かれていました。
これは決して誇張ではなく、知的刺激にあふれる、実に面白い本でした。
そして、なりよりも、著者の文章は平易で分かりやすい‥。
難しい内容を分かりやすい文章で読者に伝えることができるのは、
著者の類まれな資質・才能ではないだろうか、そのように感じた次第です‥。一読をお薦めしたい一冊です‥‥
追記
用語については、次のような解説がありました。
サリエンシー(saliency):「突出物」とか「目立つこと」などを意味する語だが、
精神医学等で用いられる用語としては、精神生活にとっての新しく強い刺激、すなわち、興奮状態をもたらす、
未だ慣れていない刺激のことを指す。
DMN(デフォルト・モード・ネットワーク):安静時や何もしていない時に作動する部位群。
自己参照的な過程や、未来の行為に備えた過去の知識の参照を司っていると考えられている。
つまり、暇で静かにしている時に作動しているのがDMN。