昨日の続きです‥。
6月9日(金)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、中江兆民の
「処世の秘訣は朦朧(もうろう)たるに在り、汝(なんじ)義理明白に過ぐ、
宜(よろ)しく春藹(しゅんあい)の二字を以(もっ)て雅号と為(な)せ」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『明治の社会主義者・幸徳秋水は若き日、思想家・中江にこう言われた。
幸徳が「朦朧を憎む」と抗(あらが)うと、
中江は自ら血気盛んな頃に号としていた「秋水」をこの弟子に与えたという。
厭世と悲哀の過剰を案じ、楽天的であれと諭した中江と、
敬愛する師の不遇を悲しむ弟子との相思のやりとり。幸徳の「兆民先生」(梅森直之校注)から。』
う~む、なるほど‥‥。「処世の秘訣は朦朧」なのですか‥。
この場合の「朦朧」は、「物事の不分明なさま」と理解すればいいのかしら‥?
「春藹」の「藹」は、「草木が盛んに茂るさま」や「おだやかなさま」みたいだけれど、
一生のうちに一度か二度、お目にかかるかどうかの漢字ではないかと思いました。
いずれにしても「春藹」は、とても素敵な雅号ですね‥‥。