しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

説得力のある、なかなかの力作

午前中から本降りの雨が降り続いています‥。


さて、古書店でたまたま見つけた『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著:講談社)を読了しました。

説得力のある、なかなかの力作でした。

印象に残った「短いセンテンス」をいくつか、次のとおり書き残しておきます。


・大げさに言えば、1960年代後半から1970年代にかけて「若者」は誕生したのである。

 「年齢以外、その多様性は問題とされない均質な集団」として。

・つまり、「若者はけしからん」と、若者を「異質な他者」として見なす言い方は、

 もう若者でなくなった中高齢者にとっての、自己肯定であり、自分探しなのである。

・「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのである。

 これで高度成長期やバブル期に、若者の生活満足度が低かった理由が説明できる。

・まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る若者たち。

 これこそが、現代に生きる若者たちが幸せな理由の本質である。

・なぜ若者の投票率は下がり続けるのか。それは、日常の閉塞感を打ち破ってくれるような

 魅力的でわかりやすい「出口」がなかなか転がっていないからだ。

・「日本」というものは、「日本」以外のものが立ち現れないと、なかなか意識されない。

・「日本」という国家が明治以来140年もの間、かけ続けてきた魔法。

 その魔法は「ナショナリズム」と呼ばれている。

・なぜ「社会」に関心がある若者が世論調査上は増えているのに、

 実際に動き出す若者が少なかったと言えば、彼らと「社会」とをつなぐ回路が不在だったからだ。

・「あの頃」には戻れない。だけど同時に、僕たちは、「あの頃」の人々が憧れた未来に生きている。

・戻るべき「あの頃」もないし、目の前に問題は山積みだし、未来に「希望」なんてない。

 だけど、現状にそこまで不満があるわけじゃない。なんとなく幸せで、なんとなく不安。

 そんな時代を僕たちは生きていく。絶望の国の、幸せな「若者」として。


本書は、豊富で充実した「脚注」も魅力的でした。

そして、ここにも著者の「主義・主張」というか、「本音のようなもの」を読み取ることができます‥‥。