NHKの連続テレビ小説を、私はもう何十年も腰を据えて見たことがないので、
「ひよっこ」という番組でどんな歌が流れているのか承知していませんが、
今日23日の日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。
その全文を引用させていただきます。
『女子工員たちが昼休みに歌うロシア民謡。
寮母さんがいつも口ずさんでいる青春歌謡。
若い世代も新鮮な印象を抱くらしい。
1964年の、伸び盛りの日本を描いた物語に浮かび上がるのは
明日を信じる精神である。集団就職で大都会に出てきた15歳が、
このドラマのように善意の人にばかり囲まれていたわけではない。
他人の飯を食うつらさに泣いた若者も多いだろう。
夢破れて道を外した少年少女もいただろう。
それでも高度成長期は総じて、「いまよりも上」への階層移動が
かなう時代ではあった。だからみんな頑張ったのである。
世の中からそんなダイナミズムが失われて久しい。
経済力の差は教育格差、学力格差を生み負の連鎖が心配な平成日本だ。
教育無償化の議論がにわかに熱を帯びているのも、
人々の胸に階層固定化へのうっぷんがたまっているせいかもしれない。
やる気と能力があれば誰でも上の学校に行ける仕組みを、というわけである。
親にとっても夢みたいな話だが、
さて、そうなったら日本人が「ひよっこ」時代の精神に戻れるのかどうか。
そもそも高等教育への進学率は、いまや専門学校を含めると8割。
成績抜群なのにお金がなくて進学断念という不幸は、昭和の昔ほど多くないだろう。
教育格差もその連鎖も、一筋縄ではいかぬ現実のなかにある。』
このコラムの中には、
日本の高度成長期を端的に、そして適切に表現する二つの言葉があると私は思います。
一つは、「明日を信じる精神」で、
もう一つは、「“いまよりも上”への階層移動がかなう時代」です。
この二つがあったからこそ、「だからみんな頑張った」のではないでしょうか……。
私の両親の世代も、そして私の世代も、
「だからみんな頑張った」を体験し、記憶している世代だと思います。
そして、この一面コラムを読んで、今月20日の日経新聞「文化」欄に、
「1950~60年代の“勤労青年”の研究が進んでいる」
という記事があったことを思い出しました。
“勤労青年”とは、大学に進学せず、集団就職などで都会に出て働き、
日本の高度成長を支えた人々のことで、
さきほどのNHKの連続テレビ小説でも、こうした若者が描かれているようです。
そして、その記事には次のようなことが書かれていました。
『なぜ今、50~60年代が注目されるのか。
京大の佐藤教授は「格差社会が進んでいるから」と見る。
悪条件下で働く若者は今も多いといわれる。
そんな時代に、やはり日本が貧しかったころを振り返る機運が生まれている
との見方だ。その苦しさを、かつての若者は人生雑誌に、
今はSNS(交流サイト)に訴えている、などと捉えれば、共通点も見つかる。
とはいえ、当時と今は全く同じではない。
「50年代は貧しくても豊かな未来を夢見ることができたが、今はそれがない」
と分析する。
そんな中、かつての勤労青年と話した澤宮氏は
現代に通じると思える言葉を聞いたという。
「“運命は選べないが、生き方は選べる”ということをおっしゃる方が多くいた。
現実をただ悲観するのではなく、知恵を使えば道は開くということ。
彼らの姿から、働くことの意味を改めて考えることもできる」と語る。』
う~む、なるほど……。
どうやら「50~60年代」と「今」との違いは、
「豊かな未来を夢見ることができるかどうか」にあるようで、
残念ながら「今はそれがない」時代を、私たちは生きているみたいです。
ただ、この記事を読んで救われたのは、
最後の部分で、「運命は選べないが、生き方は選べる」、
「現実をただ悲観するのではなく、知恵を使えば道は開く」と書かれてたことです。
どんな時代にあっても「希望を持つこと」が大切であることを、
二つの記事を読んで改めて認識した次第です。