昨日の続きです‥。
『国家の崩壊』(佐藤優+聞き手・宮崎学:にんげん出版)には、
ロシアとロシア人についての印象に残る記述がいくつかありました。
この日記に次のとおり書き残しておこうと思います。
『何度も強調しますけど、ロシアの偉大さは、中国と日本との間でグチャグチャになっている
「新しい歴史教科書」の問題でも「靖国問題」でも、ひと言も言わないことです。
ロシアは鈍感なわけではないんです。よく見ているんですが、
そういうことは言ってはいけないとエリートが思っている。
その雰囲気は、国民にも伝わって浸透しているんです。』
『ロシア人っていうのは面白いところがあって、ナポレオンが攻めてくるとか、
ナチスが攻めてくると意識したときは物凄く強いんです。しかし、自分の方から攻めていくときは弱い。
ですから、防衛戦争に強く、侵略戦争に弱い軍隊なんです。それは国民の空気の反映なんです。』
『政治の言葉あるいは文学の言葉というのは、一部の人たちを長期間動かすことができるけれども、
圧倒的大多数の人は、そういう言葉では長期間動かない、ということです。やっぱり生活の力は強い。
だから、その生活の力を知っていたのがエリツィンであり、知らなかったのがゴルバチョフだと、
そういうことを実感しました。』
『ロシア人は、いつも、権力が本気かどうかを見ているんです。
権力が本気でないところでは、何でも言うけれど、本気のときは絶対に喧嘩をしない。
それは権力の暴力性というものをよく知っているからです。』
『ゴルバチョフが回想録の中で「遠心力が強すぎた」と語っていましたが、
それは実態から全くずれた話で、遠心力が強すぎた以前の話であって、
権力の真空が生じてしまっていたんです。権力というのは真空を嫌いますからね。
真空があると、そこにいろんな権力が入ってくる。』
う~む、なるほど‥。
先日読み終えた『自壊する帝国』(新潮文庫)と、本書でのこうした記述を読んで、
ロシアとロシア人についての見方が少し変わったように思います。
プーチン大統領のダーティなイメージがあまりにも強くて、
私はロシアとロシア人にあまり良い印象を抱いていなかったのですが、
それは偏見につながるような「ステレオタイプの思考」だったのかもしれません‥。
そして、このなかで最も強く印象に残ったのは、「権力は真空を嫌う」という言葉でした。
これは古今東西、変わることのない真理なのかもしれません‥‥。