今日12日の朝日新聞「天声人語」を読んで、
「ぼっち席」という言葉があることを初めて知りました。
コラムによると、学生からは「ぼっち席」と呼ばれている
「学生食堂のテーブルに仕切り板を設けた席」をつくる大学が増えているそうです。
お向かいの視線は気にならないとか、
相席が苦になる人はこの方が落ち着ける、というのが設置の理由のようで、
要は、「1人でも座りやすい席」ということみたいです。
ぼっちとは「友達がいない、ひとりぼっちの人」を指す、すでに若者には定着した言葉で、
その言葉に込められた若者気質を、コラムでは次のように解説していました。
『ぼっちには、1人は寂しい、かわいそう、自分はなりたくない、
といった否定的な意味合いも込められているようだ。
1人でいることそのものより、
友達のいない人だと周りから見られることが耐えがたい。
それが現代の若者気質なのだという』
ここまでは、「へぇー、現代の若者気質はそんなものなのか…」と、
特に驚くほどでもなかったのですが、
公衆トイレの個室にこもって食べる「便所飯(べんじょめし)」や、
一緒に食べる相手がいないなら昼ご飯を抜くという
「ランチメート症候群」という言葉があることには、正直びっくりしました。
ちなみに、コラムの最後は、次のような一節でした。
『人目を気にする性分の人は昔からいる。突き放すようだが言いたくなる。
当人が視線を恐れるほどには、周りは当人を見ていないのではないか、と。
ぼっち上等、といかないものか。』
私は大学生の頃、どちらかというと『独りぼっち』でした。
東京での大学生活になかなか馴染めず、
昼ご飯も学生食堂で一人食べることが多かったように思います。
でも、さすがにトイレで食べたり、昼ご飯を抜くということはありませんでした。
そして、「独りぼっち」について、周りの目を気にすることもありませんでした。
まったくの「孤立無援」ではちょっと寂しいですが、
「孤独であること」は、決して否定的に捉える必要はないのでは?…と思っています。
コラムにいう「ほっち上等」のほかに、
私にはとても真似できないけれども、「孤高」という言葉もありますから……。