松山東高の昨日の試合に関し、
今日の愛媛新聞「地軸」では、次のようなコラムが掲載されていました。
コラムを読んでいて、とてもほのぼのとした気持ちになりましたので、
その一部を紹介したいと思います。
『 〜(略)〜
この夏は、ひと味違う熱い便りも届いた。
高校野球県大会で松山東高が63年ぶりの快進撃。
準決勝の勝利が決まるやいなや、
メールで、電話で、東京、愛知、大阪からも、「すごいね」
県外に住む友は、ネット速報にくぎ付けになったという。
地方の試合状況が、いまやどこにいてもリアルタイムで分かる。
球場で応援する同級生に電話して、臨場感たっぷりの解説を聞く。
興奮は倍になって別の友達の携帯電話へ。若き時代の、あの声この声とつながる。
関東のOB会では、ネット中継の観戦方法がフェイスブックで回された。
「決勝戦の応援で帰省します」「テスト中だけど、単位落としても帰る」。
ふるさとに思いを募らせ、飛行機や夜行バスに飛び乗った人たち。
夜は街のあちこちで、にわか同窓会。
家族の心もつながった。
「日頃なしのつぶての大学生の息子が、メールをすぐ返してきた」
「離れて住む兄ちゃんに電話して、明るい声を久しぶりに聞いた」
「お父さんが生きていたら喜んだだろうな」
〜(以下、略)〜 』
私の場合も、松山東高の快進撃に伴い、
同校に進学した中学時代の同級生のことを思い出しました。
別々の高校に進学して、それ以降ほとんど会っていないけれど、
「彼も彼女も、きっと喜んでいるだろうな…」と。
ところが、同校のOGである我が娘は、
野球に興味がないせいか、私とはコラムに書いてあるような会話が全くありません。
これって、どうしたものかな…?
ただ、コラムでも指摘されていたように、
選手たちの熱戦は、
「勝ち負けよりも大きな贈り物」を届けてくれたように気がします。