う~む、残念……。
昨夜は、NHKテレビの「ドラマ戦艦武蔵」を観ていたら、
途中で睡魔に襲われて、そのまま「うたた寝」をしてしまいました。
ハッっと気がつくと、番組はすでに終了していました。(トホホ…)
ところで、「戦艦」といえば、たまたまでしょうが、
昨日3日の日経新聞「こころ」欄に、
戸高一成・大和ミュージアム艦長へのインタビュー記事が掲載されていました。
そこには、次のような記述がありました。
『大和は日本海軍のシンボルとして建造され、
沖縄特攻の途中、シンボル的な沈み方をしたわけです。
大和は不思議な船で、国民も知らないうちに建造され、
海軍関係者以外、知らないうちに沈んでいる。
基本的に国民が知ったのは戦後ですから。
国民にとって知った瞬間にすでに神話なんです。
徹頭徹尾神話の中で生まれたような船なので、
それだけに日本人の心にしみるものがあるんでしょうね。』
『よく言われるのは日本人の判官びいきのメンタリティーです。
能力のある人が能力を発揮するところがなくて悲劇的な最期を遂げる、
大和はそのものです。世界最大の能力を期待されながら
その能力を発揮出来ず、不本意な最期を遂げた。
ああ、気の毒という日本人の心情にピッタリの船の一生でした。』
再び、う~む……。
この記事のなかの「大和」を「武蔵」に置き換えても、全く違和感がありません。
「国民も知らないうちに建造され、知らないうちに沈んでいる」ことや
「能力のある戦艦が能力を発揮することなく悲劇的な最期を遂げる」など。
「不沈艦」は最後の最後まで、
「不沈艦」の「役」を演じ続けなければならなかったのですね…。
人間もいったんその人の「イメージ」が定着してしまうと、
そこから抜け出すのはなかなか容易ではありません……。