昨日の朝日新聞デジタル版・「波聞風問(はもんふうもん)」の
原真人編集委員が執筆した記事を読んで、深く考えるところがありました。
記事によると、
朝日新聞の新年連載「我々はどこから来て、どこへ向かうのか」で、
1月4日に原委員が書かれた『「経済成長」永遠なのか』という記事に対して、
賛同の声がある一方、批判も各方面から寄せられるなど、
大きな反響があったそうなのですが、
その時の記事に込められた真意を、次のように述べられていました。
『ここは説明しておきたいのだが、私は積極的に低成長を奨励しているわけでも、
産業革命や国際競争力の向上をあきらめろと言いたいわけでもない。
批判論者の中にはこの記事を「成長否定論」と決めつける向きもあるが誤りだ。
経済成長の効用は私も知っている。
税収が増え、社会保障の未来が描きやすくなる。
企業収益が増えて給料が上がるかもしれない。成長はあらゆるものを癒やす。
ただ、心地良い高成長を望んだとしても、現実にはなかなか難しくなってきた。
そこで「とにかく成長を」と無理な政策に走れば、
かえって経済にゆがみが生じかねない。そう言いたかったのだ。』
そのうえで、原さんは次のように述べられていました。
『20年以上に及ぶ日本の低成長、世界に広がり始めた成長鈍化の波、
政府や日本銀行による異例の政策の連打と失敗……。
これだけの現実を見せられたら、
「とにかく経済成長だ」という掛け声に違和感を感じるのは当然だろう。
低成長社会を構想することは敗北主義ではない。
むしろ今の政権の方が成長率引き上げにこだわり続けることで、
低成長時代に必要な社会制度の再設計から目をそむけ、逃げているのではないか。』
う~む……。(絶句)
この日記でこれまで何度も書いてきているように、
私は、高成長とは言わないまでも、経済成長を目指して政策を総動員することは、
国民福祉の増進のためには「善」だと思ってきました。
ところが、原さんの「低成長社会を構想することは敗北主義ではない。
むしろ今の政権の方が成長率引き上げにこだわり続けることで、
低成長時代に必要な社会制度の再設計から目をそむけ、
逃げているのではないか。」という指摘を読んで、
「なるほど、そう言われても仕方がないのか…。」と考え込んだ次第です。
でも、「低成長時代に必要な社会制度の再設計」と言われても、
具体的に私たちは、一体、何から手をつけるべきなのでしょう…?
思考が深みにはまっていきそうです……。
今度は、この疑問に答える記事を、是非書いていただきたいものです。