プルーストの小説「失われた時を求めて」は、途中まで読んで挫折した本の一つですが、
なんとかこの世から去るまでには読破したいと心に決めています。いつになるか分かりませんが‥‥。
その「失われた時を求めて」が、今日の日経新聞一面コラム「春秋」で、次のように書かれていました。
『プルーストの小説「失われた時を求めて」に印象的な場面がある。
語り手が、紅茶に浸したマドレーヌの風味から少年時代を過ごした田舎町の記憶を蘇生させる挿話だ。
ふだん気にも留めないような味覚、嗅覚、聴覚から埋もれていた過去が、奇跡のように立ち上がる。
似たような経験を持つ人も多いだろう。作家はそれを「無意志的な記憶」と名づけた。
「プルースト効果」と呼ぶ人もいる。ふとよみがえった遠い思い出は、私たちを幸福感で満たしたり、
時に苦しめたりする。死に別れた人々に再び声を与え、彼らを懐かしむ。
記憶の風化にあらがう被災地の慰霊碑のような作品である。
きょうは彼岸の入り。この時期を境に春暖の傾向が定まり、汗ばむような日も増える。
寺町は、先祖の墓参りをする人々でにぎわう。菩提寺までの車窓の景色、鐘の音、
墓前に手向けた香華のにおいが、過ぎ去った時の扉を開く触媒になるのだろう。
年齢を重ねるにつれ、墓参に心を引かれるのは、プルースト効果ゆえか。 ~(以下、略)~ 』
う~む、なるほど‥‥。
「ふだん気にも留めないような味覚、嗅覚、聴覚から埋もれていた過去が、
奇跡のように立ち上がる経験」を、「無意志的な記憶」や「プルースト効果」と呼ぶのですね‥‥。
これなら私にも似たような体験があります。
具体的にそれがいつだったか、今ここで思い出すことはできませんが、
今度、その機会が訪れたら、忘れずにメモしなければなりませんね‥‥。(苦笑)
そして今日は、コラムにも書かれているように「彼岸の入り」です。
我が家では、父と妻と娘と孫娘、そして私の親子四世代で、実家のお墓参りに行って来ました。
お線香を焚いて、母の墓前で、孫娘がこの4月から小学生になることを報告しましたが、
母が生きていれば、どんなにか孫娘の成長した姿を喜んだろうか‥‥と想像します。
そういえば母は、私の娘がまだ小学生の頃、
「〇〇ちゃんが成人した時の、振袖姿を見てみたい。それまで頑張って生きていたい‥‥。」と、
口癖のように言っていました。叶わぬ夢で終わった母の口癖を懐かしく思い出したのは、
コラムに書かれている「プルースト効果」なのかもしれません‥‥。
そういう私も、母が亡くなった時の年齢となりました。
私も、孫娘の振袖姿を見ることができるよう、頑張って生きていたいと思います。