岡山県の宇野港と高松市の高松港を結ぶ「宇高航路」の休止を惜しむ
「消えゆく航路」と題した今日の愛媛新聞一面コラム「地軸」を読んで、
子どもの頃、関西汽船を利用して家族で帰省したことを、懐かしく思い出しました。
そのコラムには次のようなことが書かれていました。
『年の瀬が押し迫ってきた。
いつの間にやら時間が過ぎ、慌てて帰省や旅行の便を予約した人も多いだろう。
大阪で過ごした学生時代、帰省はもっぱら船だった。今はもうなくなった航路だが、
大阪を夜出ると松山に朝着いた。
時間はかかるが安く、寝室のほか食堂、浴場も備わり、ゆっくりくつろげた。
お盆や正月は満員で寝る場所が見つからず、食堂のテーブルで時間をつぶしていると、
同じ境遇の客同士が自然と打ち解けたものだ。お酒を酌み交わしたり、食事をおごられたり。
単なる移動にとどまらない、船ならではの旅情があった。』
滋賀県大津市に住んでいた子どもの頃、帰省のために関西汽船を利用しました。
神戸から松山の往路、松山から神戸の復路は、お盆や正月の時期はいずれも超満員で、
雑魚寝の二等寝室では乗客を収容しきれず、
食堂や通路に毛布を敷いて寝たこともあったと記憶しています。
また、母は横になるスペースがなく、朝まで隣の人と話をしていたことを思い出します。
「一度でいいから足を延ばして寝てみたい」と、当時の私には「旅情」には程遠い船旅でしたが、
早朝に船のデッキから見える、久しぶりの故郷の景色や、頬を撫でる潮風と海の香りは、
今でも決して忘れることはありません‥‥。
そして、先ほどのコラムの最後には、次のようなことが書かれていました。
『ひたすらスピードや利便性を追い求め、丁寧な暮らしや心の余裕が社会から失われつつある昨今。
船便の苦戦はその反映でもあるように思う。
潮風に吹かれ、ゆったりとした時間を取り戻す旅に出るのもいい。』
はぃ、そうですね‥‥。
私もいつの日か、ゆったりとした時間を取り戻し、
そして、子どもの頃の懐かしい記憶を呼び戻すため、「船の旅」に出かけてみたいと思います。