しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

悲しみと哀しみ

NHKテレビ『100分de名著』の指南役としてお馴染みの

批評家・若松英輔さんが、昨日12日の日経新聞「文化」欄に、

東日本大震災から6年が経過したことに関連して、

『それぞれのかなしみ』というタイトルのエッセイを寄稿されていました。

 

若松さんらしい、次のような心のこもった言葉がありましたので、

この日記をメモ代わりにして書き残しておこうと思います。

 

・日ごろはあまり意識しないが、人はつねに二つの時空を生きている。

・人生の試練に遭遇するとき、

 世が「時間」と呼ぶものとはまったく姿を異にする「時」という世界があることを、

 ある痛みとともに知るのである。

・時間的な記憶は、さまざまな要因で薄れることがあるかもしれない。

 だが、「時」の記憶はけっして消えることがない。

 誤解を恐れずに言えば、私たちの意識がそれを忘れても、魂はそれを忘れない。 

・時間がたてば悲しみは癒えるのではないかと人はいう。

 それは表向きの現象に過ぎない。悲しみは癒えるのではなく、深まるのである。

・悲しみは、私たちの心のなかで、いつしか一つの種となり、

 それが静かに花開いたとき、他者の悲しみを感じ得る哀しみになる。

・他者の悲しみを感じ取るのは、悲しみを生き、

 哀しみの花を内に秘めている人だろう。

・人は何かをうしなうまで、

 自分が相手を愛しいと感じているのを 自覚できないことがある。

 別な言い方をすれば、人は、何かとの別れを経験することによって

 自分がその失なわれたものを愛していたことを知る。

・人はしばしば、別れなき生活を望む。

 しかしそこにあるのは、真の出会いなき人生かもしれない。

 出会いが、確実にもたらすのは別れである。

 むしろ、出会いだけが、別れをもたらし得る。

・離別という悲痛の経験は、誰かと出会うことがなければ生まれない。

 誰かを愛することがなければ、別れと呼ぶべき出来事は、起こらない。

 別れとはけっして消えることのない

 新しき邂逅(かいこう)の合図なのではないだろうか。

 

「時」に二つの意味があることについては、

「クロノス」(分・秒といった客観的・物理的・量的な時間)と

カイロス」(生涯に一度訪れて二度とはめぐってこない唯一無二の時間)を

思い出しましたが、若松さんが言われる「時間」と「時」は、

またそれとは違った意味があるような気がしています。

 

ところで私は、よく妻や娘から、口先だけの「偽善者」だと非難されます。

若松さんのお言葉をお借りするならば、

私は「他者の悲しみを感じ得る哀しみ」を持っていない人間なのかもしれません。

(本人としては、「偽善者」という言葉に深く傷ついているのですが……) 

 

 

夕日と海に手を合わす

昨日、今日と、よく晴れて暖かく、穏やかな天気が続きました。

 

今日の午後4時過ぎになって、ふと夕日と海が見たくなり、

久し振りに、いつものコースで、西の海岸まで散歩に出かけることにしました。

散歩に出かけるのは、昨年の11月以来で、約5か月ぶりとなります。

以下に貼り付けた写真は、散歩の途中で撮影したものです。

 

まず1枚目は、田圃に咲いていたレンゲソウです。

ところで、レンゲソウって、いつ頃咲くのでしたっけ?

 

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2枚目は、伊予市・大谷川の河口で泳いでいたカモの群れです。

これはカモで間違いないですよね?

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3枚めと4枚目は、西の海岸に沈む夕日です。

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東日本大震災から昨日で丸6年となりました。

復興庁によると、避難されている方は前年よりも約5万1千人減ったものの、

約12万3千人に上り、福島県では原発事故のため、

なお、約4万人が県外での避難生活を余儀なくされているとか……。

こんな私にも、辛く、心が折れそうな日があるけれども、

それでも思い立ったら、すぐに慣れ親しんだ夕日と海を見に行ける幸せに感謝し、

その穏やかで優しい夕日と海に向かって、今日は手を合わせた次第です。

 

 

思った通りの人生

関西在住の高校時代の友達が、一年ぶりに帰郷するのに合わせ、

今日は、私を含めた地元在住の3人と、

午後4時に松山市中心部で待合せをしました。

4人でお互いの近況報告や昔話をしていると、

あっという間に時間が経過していて、解散したのは午後7時でした。

お互いに歳はとっても、「心の様相」は青年のままのようです。

 

ところで、待ち合わせの時間まで少し時間があったので、

久し振りに大型書店に立ち寄って、ぶらぶらと本を眺めていると、

哲学者で文筆家の池田晶子さんのコーナーが特設されていました。

どうやら今年は、池田さんの没後10年に当たるようです。

 

そして、平積みされた本の中に、

『幸福に死ぬための哲学~池田晶子の言葉』(講談社)というタイトルの本を見つけ、

ほとんど迷うことなく手に取りました。

結局、今日この書店で買ったのは、池田さんの本と、

『1984年』(ジョージ・オーウェル著:ハヤカワepi文庫)と

『詩のこころを読む』(茨木のり子:岩波ジュニア文庫)の3冊となりました。

 

帰宅後、さっそく池田さんの本をめくってみると、

『思った通りの人生』というタイトルの、次のような言葉がありました。

『人は、何でも、「思う」ことができる。これは本当に不思議なことだ。

 これが自由の原点だ。

 人生はつまらないものだと思えばつまらないものになり、

 人生は素晴らしいものだと思えば、人生は素晴らしいものになる。

 何もかも、思った通りになる。

 人生は、自分が思った通りの人生になっている。

 人は、思うことで、自分の運命を自由に創造することができるんだ。

 これは、なんて素晴らしく、かつ、なんて厳しいことだろう。(14歳からの哲学)』

 

う~む、なるほど……。

いきなり素晴らしい言葉と出合うことができました。

今日会った、私の高校時代の友達3人は、

思い通りの人生を歩むことはできたのでしょうか?

この本を先に読んでいれば、ぜひ聞いてみたかったです。

私はといえば、これまでの道のりに厳しさはあったけれども、

少なくとも、良き友達に巡り合えたことは、

思い通りの素晴らしい人生であったと思っています。

 

幸福に死ぬための哲学――池田晶子の言葉

幸福に死ぬための哲学――池田晶子の言葉

 

 

 

信じる者は救われる

先日の「とある日」、娘と会話していると、年金の話になりました。

 

日本の公的年金は、「積立方式」ではなく「賦課方式」で、

働く現役世代が引退後の高齢者を支える仕組みであることは、

二人とも理解しているつもりだったのですが、

娘は、「自分が高齢者になった頃には、

現役世代は今よりずっと人口が少なくなっているので、

今、私が懸命に保険料を支払っても、年金はもらえないのではないか。」

というような心配をしていました。

 

この娘のもっともな懸念に対し、私はまともに答えることができず、

歯がゆい思いをしていましたが、

今月2日の日経新聞「やさしい経済学」の

公的年金の保険原理を考える(5)~生産性向上と経済拡大が重要』に、

その答となるような記述が、次のように書かれていました。

 

『日本国民の年齢構成は多くの若者が少ない高齢者を支える「騎馬戦型」から、

 少ない若者が支える「肩車型」に変わるから、

 年金を将来もらえるはずがないという懸念を聞くことがあります。

 こうした懸念には暗黙の前提があります。

 それは、経済の大きさや国の豊かさは働き手の数で決まるというものです。

 しかし、この前提は妥当でしょうか。

 

 稲作で成り立つ経済を考えてみましょう。

 今まで100ヘクタールの水田を100人が鍬(くわ)で耕し、

 手で田植えをし、鎌で刈り取ってきたとします。

 そこで働き手が10人に減れば、コメの生産は減り、

 人々は貧しくなって、高齢者扶養は困難になるでしょう。

 しかし、トラクターや田植え機、コンバインが導入され、

 これらの農業機械が力を発揮できる圃場整備が進んだらどうでしょうか。

 5人で100ヘクタールの水 田耕作が可能になり、

 すなわち労働生産性が大きく上昇し、人々は以前より豊かになるでしょう。

 つまり、働き手が減る以上に労働生産性が上がれば、

 高齢者扶養には何の問題もないのです。

 

 経済には「足りないものはなるべく有効に使うよう誰もが工夫する」

 というメカニズムが備わっています。

 今後、若者は減っても、あらゆるモノがネットにつながるIoTや

 人工知能(AI)など、技術革新と労働生産性向上の扉はいくつもあります。

 まだ見えていないが5年後には見えてくる扉もあるでしょう。

 

 肩車型社会での高齢者扶養が克服すべき課題であることは事実です。

 その解決策は、労働生産性の向上と経済の拡大にこそ求めるべきです。

 科学技術の発展を促し、その成果を次々に実地に応用していく

 前向きな風を吹かせること、これが解決策につながるのです。』

 

う~む、なるほど……。とても分かりやすい説明です。

でも、今の日本に、本当に「前向きな風」は吹くのでしょうか…?

年金は「信じる者は救われる」ということでいいのでしょうか…?

先ほどの例え話にある「圃場整備」についても、

日本には急傾斜地や中山間地など条件不利な土地が多いことだし……。

「経済の大きさや国の豊かさは働き手の数で決まる」という前提は、

ある程度、当たっているような気がするのですが…、違うのかな?

 

娘ともう一度、話し合ってみることにします。

歴史を知り、教訓とする

天皇、皇后両陛下は今月6日に、

7日間にわたるベトナム親善訪問とタイ前国王弔問の旅を終えて、

無事帰国されました。

 

そして、今月7日には、

『「象徴」の意義示した旅 両陛下帰国~埋もれた歴史に光り』

という記事が日経新聞に掲載されました。

その記事の次の記述には胸にジーンと迫るものがあって、

同時に、少し考えるところがありました。

少々長くなりますが、とても大切なことが書かれていたと思うので、

引用させていただきます。

 

『両陛下は2日、ハノイ市内で残留日本兵の家族らと懇談された。

 太平洋戦争後に戦地に残留した日本兵が数多くいたことは知られていた。

 しかし、彼らと結婚した現地女性が夫が帰国したあと、

 差別と貧困のなかで苦労して子供を育ててきた事実には目が向けられてこなかった。

 残留日本兵の家族は両陛下が

 「(自分たちに)特別な感情を持っていただいてありがとうございます」と

 涙を流して感動していた。

 「自分たちは忘れられていない、見捨てられていなかった」と

 受け取ったからだろう。

 天皇陛下は昨年8月のお言葉で天皇の象徴的行為として、

 遠隔の地や島々など各地への旅を挙げられたが、海外訪問もその延長線上にある。

 社会の片隅で忘れられていた人々、事実に光を当てる。

 象徴ゆえに、そして象徴にしかできないことかもしれない。

 そして天皇陛下は繰り返し述べてきた

 「歴史を知り、教訓とする」ことも今回の旅で実践された

 4日に両陛下がフエのファン・ボイ・チャウ記念館を訪れたことで、

 この独立運動家と、ベトナム人が日本に学んだ東遊運動、

 彼らを支援した日本人の存在が注目されることになった。

 天皇陛下「過去のことを振り返りながら日本がどういう道を歩んできたか、

 ということを日本の人々が知っていくということは大変大事なこと」

 と述べられた。』

 

ところで、大阪市の某学校法人が運営する幼稚園が、園児に、

天皇を頂点とする秩序を説き、戦前の教育の基本理念を示した「教育勅語」を

素読させていたという報道が、最近の新聞紙面にありました。

 

私は、教育勅語に書かれた、親孝行や学問の大切さ、遵法精神など

国民が守るべき道徳的な記述については、

その内容を全面的に否定するつもりはありません。

しかし、それを「園児に素読させる」ことは、強烈な違和感があります。

 

むしろ、先に引用させていただいた記事に書かれてある、

天皇皇后両陛下の「社会の片隅で忘れられた人々、事実に光を当てる」

という象徴としてのおつとめや、

天皇陛下の「過去のことを振り返りながら日本がどういう道を歩んできたか、

ということを日本の人々が知っていくということは大変大事なこと」

というお言葉と、そのお言葉に込められた思いを、

子どもたちに分かりやすく伝え、教えていくことこそが、

本当の意味での国民教育ではないだろうか、と思っています。