しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

降る雪に思い出す歌

三連休明けの今週は、愛媛も厳しい寒さとなりました。

今朝の出勤途上では、道路の水たまりに薄く氷が張っていて、

仕事からの帰宅途上では、こちらの平地では滅多に見ることのない粉雪がちらついていました。


そして、極寒のこの時期に降る雪を見ると、いつも決まって、

底冷えのする京都で大学受験の浪人生活を送っていた頃に、

ラジオから流れていたチューリップの名曲、「サボテンの花」の歌詞のフレーズが、

私の心の奥底から蘇ってきます。


♬ たえまなくふりそぞく この雪のように 君を愛せばよかった

  窓にふりそぞく この雪のように 二人の愛は終わった

♬ この長い冬が終わるまでに 何かをみつけて生きよう

  何かを信じて生きて行こう この冬が終わるまでに


悲しい体験や苦しい体験をした時期に、自らを慰め、励ましてくれた歌は、

一生涯、忘れることはありません‥‥。

そういえば、明日から大学入試センター試験ですね‥‥。

受験生の皆様のご健闘をお祈りします。神様・仏様のご加護がありますように‥‥。



  

スポーツと経営の共通点を学ぶ

日経新聞電子版「出世ナビ」の「リーダーはスポーツに学ぶ」に、

柳弘之・ヤマハ発動機会長へのインタビュー記事が掲載されていました。

記事のタイトルは、『ラグビー清宮氏に学んだ人材育成』というものでしたが、

この「清宮氏」とは、2015年のラグビー日本選手権で「ヤマハ発動機ジュビロ」を

初優勝に導いた清宮克幸監督のことです。

記事のなかから、柳さんが語られた示唆に富む言葉を、次のとおり抜き出してみました。


・清宮さんのチームづくりには、4つの特徴があります。まず「高い目標」を与える。

 次に、目指す方向感をわかりやすく伝える。3つ目は練習方法を工夫する。

 そして、人を育てる。この4段階なんです。これが非常にうまい。

・企業スポーツは企業経営に似ています。サッカーやラグビーの場合は、

 プレーヤーと戦略とマネジメント、この3つの要素があるんです。

 このバランスがうまくいかないと絶対に勝てないな、というのが最近の実感です。

ラグビーでも企業経営でも、最も大事なのは人を育てることです。

 私は人材には「普通の人」「一流の人」「超一流の人」の3段階あると思うんです。

 多くの場合、普通の人がステップを踏んで、一流から、超一流へと育っていきます。

・普通の人に機会を与えて育てる、この流れは企業の経営も同じだと思います。

 「心技体」という言葉がありますが、一流になる人は、これに「考える力」が加わるんです。

 清宮さんに話を聞いても、言われたことをそのままやる選手より、

 自分で考えて工夫できる選手が伸びるらしいんです。

・超一流のレベルになると、これに「空間認識能力」が加わります。

 サッカーの中村俊輔(ジュビロ磐田)が典型例です。

 彼はピッチであちこちを見ながら鋭いパスを出せる。

 彼に聞くと、その瞬間瞬間でピッチの全体を理解しているというんです。

・空間認識能力は、ビジネスでも大事です。

 当社は世界中で仕事しているので、どのエリアや事業でどんなビジネスがうまくいっているのか、

 課題がどこなのかをグローバルな視野で認識する力が必要になります。

 そのために毎日データを見たり、現地に出かけて状況を把握したりする。

・空間認識能力のあるプレーヤーが複数いれば、そのチームは強くなります。

 1人だと難しいんです。彼らが信頼され、ほかのメンバーとベクトルが一致すれば、

 勝てるんです。超一流の人材がメンバーに信頼され、チームを引っ張って勝つ。

 これは企業でも同じではないでしょうか。


う~む、なるほど‥‥。スポーツと経営には共通点があるのですね。

そういえば、昨年末に放映されたNHKテレビ「おはよう日本」を見て、

東福岡高校ラグビー部の藤田監督が、カルロス・ゴーン日産自動車会長の本を読んで、

ビジネスの組織論をチームづくりに生かされていることを知りました。


人間界における「組織」と「人」の問題というのは、スポーツや経営に限ったことではなく、

その底流には何かしら共通の「哲学」があるのだと思います。

そしてそのことを、各界のリーダーの方々は、誰よりも広く深く学ばれているのだと思います。

困難を克服する原動力

黒田日本銀行総裁が昨年12月26日に、日本経済団体連合会審議員会において、

『人手不足を越えて~持続的経済成長への展望』と題して講演されたその講演録を、

日銀のHPで読みました。この講演において黒田総裁は、

「深刻化する人手不足が日本経済の成長制約になるのではないか」といった悲観論に対して、

次のように述べられていました。


『過去の経験によれば、日本経済は、人手不足という困難を乗り越えていく過程で、

 個々の企業が生産性を高め、経済全体の成長力を高めてきました。

 人手不足以外にも、わが国経済は、「成長制約」といわれていたものが

 実は制約ではなく、新たなフェーズの入り口であったことを、何度も証明してきました。

 1970 年代に二度の石油危機が日本を襲ったときは、

 資源不足がわが国経済の成長を制約することが懸念され、

 「日本はゼロ成長に陥る」といった悲観論も広がりました。

 実際には、多くの企業による積極的な省エネ投資により、

 わが国は、世界で最もエネルギー効率の高い経済に変貌し、こうした困難を見事に克服しました。

 また、最近では、東日本大震災の発生後、

 電力不足やサプライチェーンの断絶が経済活動の制約になると心配されました。

 しかしながら、多くの企業は、自家発電設備の増設や生産拠点の移転・再構築に取り組み、

 驚くべき速さで生産能力を回復しました。

 このように、経済は、短期的には制約と思われることがあっても、

 それを乗り越えていくことで成長していくのだと思います。

 そして、こうした困難を克服する原動力は、

 いつも皆様方企業の前向きな取り組みでした。今回の人手不足についても同様です。

 私は、わが国企業の問題解決能力に全幅の信頼を置いています。』


そして、そのうえで

・限られた人材を有効に活用するためには、他社に一歩先んじて行動し、

 目の前のビジネスチャンスを着実に掴むことが重要であること

・企業の成長力を一段と高めていくためには、それなりの賃金を払ってでも

 優秀な人材を確保していくことも必要であること

この二つを強調されていました。


黒田総裁のお話は、企業に向けてのものでしたが、人についても、

様々な制約を乗り越えることによって成長していくこと、

困難を克服する原動力は前向きな姿勢であることは、変わらない真理ではないかと思います。

ただ、私はというと、このことが一番欠けているのではないかと深く反省した次第です。

時間をいくつも持つことの大切さを学ぶ

昨日のこの日記では、臼井興胤・コメダ社長の「時を操る」について書きましたが、

その「時」というか、「時間」に関して、

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を執筆されている哲学者の鷲田清一さんが、

今月7日の日経新聞「文化」欄に、『いくつもの時間』と題するエッセイを寄稿されていました。

鷲田さんは、「折々のことば」では、紙面の制約から短い言葉で解説されていますが、

今回のエッセイは長文です。最初は、その要点だけこの日記に書き残そうと試みましたが、

とても大切なことが書かれていたので、少し長くなりますが、引用させていただきます。


『 ~(略)~ 望もうにも、もう一つの時間をもつというのは実際のところむずかしい。

 親の介護やペットの世話に明け暮れる人、子育てにかかりっきりで息も抜けない人、

 1日のほとんどの時間を組織の課題で刻んでいる人‥‥。

 じぶんの時間なのにじぶんでどうこうできない人たち、

 時間に「あそび」の幅をもたせられない人たちが、世の中にはいっぱいいる。

 
 一つの時間を生きる、あるいは一つの時間をしか生きられないというのは苦しいことである。

 生きものとして人間に無理をかけるからである。

 人はいろんな時間を多層的に生きるポリクロニックな存在である。

 仕事にあたりながら、心ここにあらずといった感じで別の思いを

 ずっと引きずったままのときがある。手が止まり、放心したかのように思い出に浸るときもある。

 ずっと心に引っかかるものがあって、一つのことに集中できないことがある。

 過去へと流れ去ってくれないトラウマに心がじくじく疼(うず)いたまま、というときもある。

 そのように意識がさまざまの時間に引き裂かれ、一つにまとまらないというのは、

 さしてめずらしいことではない。


 ふだんはほとんど気づかれることもないが、人の内にはさまざまに異なる時間が流れている。

 呼吸が刻むリズム、消化をになう内臓のうねり、月経の周期、刻々と入れ替わる細胞の時間、

 そしてその全体の老い。そうしたさまざまに異なる時間が、

 ときに眠気や疲労感や空腹感のかたちで、あるいは尿意や便意、陣痛のかたちで、

 意識の時間に割って入ってくる。「そわそわ」とか「じりじり」といった焦燥感が

 意識の時間をひきつらせることもしばしばだ。


 ゆたかに生きるというのは、それぞれの時間に悲鳴をあげさせないことだ。

 どれか一つの時間が別の時間に無理をかけているというのは、生きものとして不幸なことだ。

 が、たいていの人はこの無理を押し隠そうとする。抑え込もうとする。

 それだけではない。人は他の生きものともいっしょに生きている。

 老いた家族や幼い子どもとの時間、ペットとの時間、栽培している植物との時間。

 そういう時間のなかにじぶんをたゆたわせることもできずに、

 いまは仕事で忙しいから、しなければならないことがあるからと、

 耳を傾けずにそれを操作しようというのは、生きものとして歪(いびつ)なことである。

 余裕のなさから出たその言葉が、自身のみならず、同じ時間をともに生きる相手を

 想像以上に痛めていることを知るべきだ。

 
 齢を重ねたはてに知る寂しい事実がある。ずっといっしょに暮らしてきた、

 比喩でいえばずっと同じ列車に隣り合わせて乗ってきたと思っていた連れ合いが、

 じつは同じ速度で走る隣りの列車に乗っていただけのことだと思い知らされるときだ。

 ずっと前から線路は知らないうちに少しずつ離れ、

 気がついたときは隣の列車は声をかけても届かないほど遠くに隔たっていたということがある。

 時間はいくつも持ったほうがいい。交替ででもいいが、できれば同時並行のほうがいい。』


う~む‥‥、割愛するのが難しくて、ほとんど記事の全文に近い引用となってしまいました。

私は、このなかでも、「一つの時間を生きる、あるいは一つの時間をしか生きられないというのは

苦しいことである。」という記述が、実体験として、なんとなく理解できるような気がしました。

また、「他者とともに生きる時間のなかにじぶんをたゆたわす」ことも、

哲学的な表現の難しさは感じるけれど、なんとなくその大切さが理解できるような気がしました。


いずれも「なんとなく」しか理解できないところが、私の能力の限界だと思います。(トホホ‥‥)

「時を操る」と「二十歳の旅人」

ギックリ腰には安静が第一とのことだったので、今日は終日、炬燵に入って寝転んでいました。

また、起きて歩行する際には、腰痛コルセットを装着すると、心持ち痛みが和らぐような気がしました。


さて、昨日7日の愛媛新聞「道標~ふるさと伝言」に、松山市出身でコメダ社長の

臼井興胤(うすいおきたね)さんが、『時を操れ』というタイトルのエッセイを寄稿されていました。

そこには、次のようなことが書かれていましたが、そのなかでも

『喜びも悲しみも、必ずいつかは「時」の流れとともに力尽きる。「時」は人の心を癒す。』

という文章に、同感と共感を覚えている自分がいました。


『子どもの頃、楽しみにしている明日の遠足にワクワクすると同時に、

 行く前から遠足の帰り道の「喪失感」を想像していた自分を振り返ると、ちょっと切ない。

 こどもらしく後先のことを考えずに、「その時」をただ素直に楽しめば良かった‥と思うが後の祭りだ。

 自分の心のありように関わらず「時」が無情に過ぎていくのであれば、

 私はその時間をボヤッと過ごすのではなく、思いっきり味わった方が良いと思う。

 楽しい時に我を忘れて喜び、悲しい時には号泣する。

 喜びも悲しみも、必ずいつかは「時」の流れとともに力尽きる。「時」は人の心を癒す。

 だから意志さえあれば、何度でもやり直せるのが人生だとも思う。 ~ (略) ~

 日々、浮世の些事に惑わされながら流される代わりに、

 しっかりと時を操ることができればきっと今年は何かを成し遂げられる。

 そう信じて頑張れるのも今のうちだ。』

ただ、そうはいっても、「しっかりと時を操る」ということは、

これがなかなか難しいもので、強い意志を伴う必要があると思います。


そして、今日8日は成人の日‥。

いつものように日経新聞には、サントリースピリッツ(株)の広告が掲載されていていました。

伊集院静さんのエッセイの今年のタイトルは『独りで、旅に出なさい』で、

そこには次のようなことが書かれていました。

『二十歳、成人おめでとう。

 今日から大人と呼ばれても、ピンとは来ないだろう。私もそうだった。

 今、君は自分がどんな大人になるのか想像もつかないだろう。

 どうしたら君の、自分なりの大人の姿が見えるだろうか?

 そのためには、いろんなものを自分の目で見て、さまざまな人と出逢うことだ。

 私の提案は、旅だ。それも若い時に、独りで旅に出ることだ。 ~ (略) ~

 若い時になぜ旅が必要か? それは若い新鮮な目にしか見えないものが、

 今の純粋なこころでしか獲得できないものが、間違いなくあるからだ。

 旅に疲れたら、夕空を、星を仰いで一杯やればいい。

 苦くて、美味い、旅の酒の味は、生涯の宝になるはずだ。二十歳の旅人に、乾杯。』


はぃ‥、毎年のことながら、還暦を過ぎた私にとっても心にも響く、伊集院さんの文章です。

臼井社長の「時を操る」と伊集院さんの「二十歳の旅人」‥‥。

「時を操る」のは困難を伴うと思いますが、

でもその「時」が、人生でたっぷり残っている「二十歳の旅人」が、私には眩しい限りです。