しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ボキャブラリーを勉強する

学校法人「森友学園」への国有地売却問題をめぐり、

財務省が売買の決裁に関するものなど14文書を書き換えていたことを認め、

調査結果を国会に報告した件に関して、

今日の日経新聞「春秋」、朝日新聞天声人語」、毎日新聞「余禄」には、

それぞれ次のようなことが書かれていました。


・大きな目に、髪の毛を思わせる長いひれ。

 日本の各地に伝わる人魚伝説は深海にすむ魚、リュウグウノツカイがモデルとされる。

 尾の部分がちぎれた姿で見つかることが多く、謎の一つとなっていたが、

 最近の説ではどうやら自分で尾を切断する「自切」を行うようだ。

 自切といえばトカゲである。先週末、森友学園をめぐる文書書き換え疑惑のニュースを聞いて、

 このフレーズを思い浮かべた人も多かったのではないか。

 国税庁長官の突然の辞任に対して、

 「本体が逃げ切るためのしっぽ切り」との批判がわき上がった。

 そして財務省はきのう、書き換えの事実を認めて、国会に報告した。(春秋)


・「ダーティーハンド」(汚れた手)という名の講義を米国の大学で受けたことがある。

 君たちも社会に出ればきれいごとだけでは済まない、

 違法すれすれの仕事を命じられたらどうするか。教授がきわどい事例を次々に挙げ、

 公務員や法律家を志望する学生たちが熱心に論じた。

 20年以上も前の昔話を思い出したのは、

 財務省が公表した森友学園に関する決裁文書を読んだからだ。14もの文書に改変した跡がある。

 相当の手間と時間を費やしただろう。もはや「書き換え」などという代物ではない。(天声人語)


・庶民にはわずらわしい役所の書類仕事は「文書主義」といって近代の官僚制の特徴とされる。

 ただし日本では8世紀の大宝律令(たいほうりつりょう)で唐をまねた文書主義が導入され、

 中央と地方の連絡などに膨大な文書が作成された。「刀筆(とうひつ)の吏(り)」。

 当時の役人がそう呼ばれたのは字を記す筆と共に、

 木簡(もっかん)に記した字を削る小刀が役人の必需品だったからだ。

 小刀は紙に書かれた字を消すのにも用いられ、

 刃で紙をこすって消す技法は「擦り消し」と呼ばれた。

 鐘江宏之(かねがえ・ひろゆき)著「律令国家と万葉びと」。

 財務省の前身、大蔵省も大宝律令で生まれたが、何か相伝の秘伝でもあるのか。

 昔と違い国民に対する行政の公正の証である今日の文書主義だ。

 その信頼を大きく裏切った財務省の擦り消しだった。(余録)


う~む、なるほど‥‥。

リュウグウノツカイ自切」に、「ダーティーハンド(汚れた手)」に、

そして、「刀筆(とうひつ)の吏(り)」ですか‥‥。

今日は、全国紙の一面コラムで、私が知らないボキャブラリーの勉強をさせてもらいました。

そして、読売新聞「編集手帳」はどうかというと、

『中国古代を伝える長大な歴史書「史記」に、

 王が頼りにした淳(じゅん)于〇(うこん)という人物が出てくる

 (〇は「髪」の「かみがしら」の下に「几」)。相手の意中を察し顔色をうかがう能力にたけ、

 「滑稽多弁」であったと伝えられる。決して悪口ではない。ここでいう「滑稽多弁」は‥‥』


う~む‥‥、残念。

どうやらこの続きは、「読売プレミアム」にログインしないと、

竹内政明さんの名文を読むことができないみたいです。

なんとか「編集手帳」だけでも無料で読むことができれば‥‥、と思うのは私だけでしょうか?

金融政策の年代記を学ぶ

『日銀と政治~暗闘の20年史』(鯨岡仁著:朝日新聞出版)を読了しました。

昨年末に発行された週刊東洋経済で、「今年最も推薦できる一冊」として、

本書が次のように紹介されていたので、「これは是非、買って読んでみよう」と思いました。


『本書はデフレ脱却というテーマに焦点を合わせ、

 日本銀行でどのような政策決定が行われたのか、

 また政府がどのように政策決定に関わったのかを詳細に記録した貴重なクロニクル(年代記)である。

 ~(略)~こうしたドキュメントにありがちな政治力学優先の分析に留まらず、

 金融政策の背後にある理論的な説明も丁寧になされており、

 読者が日銀の金融政策の本質を理解するうえで非常に役に立つ。』


この言葉のとおり、日銀の金融政策やその決定過程、

そして、日銀と政治との関わりが丁寧に描かれていて、とても面白く、しかも勉強になりました。

ところで、今日の朝日新聞デジタル版「MONDAY解説」に、

『日銀・黒田総裁再任へ 異次元緩和、続く険しい道』という記事が掲載されていました。

そこには、次のようなことが書かれていましたが、

本書を読了した後なので、金融記事の読み方が、我ながら少し上達(?)したような気がしています。


『2012年末の第2次安倍政権発足直後、経済再生に向けて放たれた「3本の矢」。

 際立つのは1本目の異次元金融緩和だ。

 その象徴の黒田総裁を代えることは政権基盤を不安定化させるリスクになりかねない。

 安倍晋三首相の経済ブレーン、米エール大名誉教授の浜田宏一氏は昨秋以降、首相と面談。

 「こっちの戦略が奏功しているうちは戦法を変えなくてよい」と進言した。

 総裁の人選は政権主導で進められ、「意見を述べる機会はなかった」(日銀幹部)。

 結局、麻生太郎財務相菅義偉官房長官からの信頼も厚い黒田氏の続投でレールが敷かれた。

 日銀総裁は、黒田氏の前任の白川方明(まさあき)氏までの3代は日銀出身者が続いた。

 緩和を求める政権と慎重な日銀が意見を異にする場面もあった。

 しかし13年に財務省財務官出身の黒田氏が就任した後は、政権との「蜜月」が目立つ。

 リーマン・ショックの後遺症が癒え、米欧の中央銀行は金融緩和を縮小する「出口」へ

 動きを進める。一方日銀は、物価目標の2%を達成できず緩和を今なお続ける。

 政権の意向は「日銀に簡単に出口に向かわせない」というものだ。

 19年10月に予定される消費増税後の景気下支えを日銀の緩和に期待するとの見方も根強い。

 政権幹部は「市場参加者は「出口、出口」と騒ぐが、そんな段階にない」と話す。』


う~む、なるほど‥‥。どうやら日銀にとっての「出口」は、まだまだ先のようですね‥‥。

それはともかくとして、金融政策に興味がある方へ、是非お薦めしたい一冊です。

日銀と政治 暗闘の20年史

日銀と政治 暗闘の20年史

素朴で厳粛な言葉

東日本大震災から7年の今日、批評家・随筆家の若松英輔さんが、

日経新聞文化欄に、『本当の幸せ』というタイトルの随想を寄稿されていました。

そのなかで、神谷美恵子さんの著書『生きがいについて(みすず書房)』のことが書かれていて、

それがとても胸を打つ記述だったので、

少々長くなりますが、その部分をこの日記に書き残しておこうと思います。


精神科医であり、比類なき独創的な思想家でもあった神谷美恵子が、

 主著である「生きがいについて」で、「生きがい」をめぐって次のような言葉を残している。

 「生きがいというものは、まったく個性的なものである。

 借りものやひとまねでは生きがいたりえない。

 それぞれのひとの内奥にあるほんとうの自分にぴったりしたもの、

 その自分そのままの表現であるものでなくてはならない。」

 素朴だが、何と厳粛な言葉だろう。先に人生が「冒険」だと書いたのも比喩ではない。

 多くの人の手を借りながらであっても、

 私たちは大切なものを自分で見出(みいだ)していかなくてはならない。


 今日で、東日本大震災から丸七年になる。この出来事は、私たちからさまざまなものを奪った。

 ある人にとっては今も、奪われつつある状態が続いている。

 世の中は、「復興」という言葉のもとに再建可能なものを新しく作ることに躍起になった。

 しかし、私たちが考えなくてはならないのは、再建できるものを探すことだけではなく、

 再建できないものを見つめ直すことではないだろうか。

 失望を深めるためではない。真の意味で新生するため、それは本当に失われたのか、

 見失ったのかを、しっかり感じ分けるためである。

 失われた、そう感じるものの一つが「生きがい」ではなかったか。

 「生きがいについて」で神谷は、生きがいは作りだすものであるよりも、

 すでにあって発見すべき何かだという。

 苦悩や悲痛を経験すると人は、生きがいを奪われたと思う。だが、神谷はこの本で、

 誰も奪い尽くすことのできない、真の生きがいが存在すると語っている。』


若松さんが書かれている「神谷はこの本で、誰も奪い尽くすことのできない、

真の生きがいが存在すると語っている。」というのは、

私は、おそらくは次の記述ではないだろうかと思っています。

『いずれにしても自分に課せられた苦悩をたえしのぶことによって、

 そのなかから何ごとか自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、

 それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造といえる。

 それは自己の心の世界をつくりかえ、価値体系を変革し、

 生活様式をまったく変えさせることさえある。

 ひとは自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、

 みずから苦悩のなかから創り出しうるのである。知識や教養など、

 外から加えられたものとちがって、この内面からうまれたものこそ

 いつまでもそのひとのものであって、何ものにも奪われることはない。』

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)


ところで、孫娘は、東日本大震災が起こった2011年の5月に生まれました。

ですから、孫娘の年齢が「この震災から〇〇年」ということになります。

あの日、私の脳裏にインプットされた、テレビから流れた衝撃的な映像の記憶を、

いつの日か孫娘にも伝えたい、

そして、若松さんが書かれた「本当の幸せ」についても語り合いたいと思っています。

嬉しいニュースが二つ

今日のお昼過ぎに、弟が嬉しいニュースを二つ持って我が家にやって来ました。


一つ目は、甥っ子が今年の秋に結婚式を挙げるとのこと。

甥っ子は社会人二年目で、ちょっと早いような気がしますが、

パートナーを大切にして、幸せな家庭を築いてくれることを願っています。

そして、二つ目は、小学校の先生をしている弟が、校長の候補者に選ばれたとのこと。

赴任先は今月の人事異動で決まるとのことですが、兄としてとても嬉しく、誇りに思います。


さて、今日は午後6時から、元同僚の定年退職慰労会が予定されています。

たぶん、ほろ酔い気分で帰宅した後では、この日記を書けそうにはありません。

よく晴れた一日となりましたが、昨日から吹く風がとっても冷たく感じます。

少し厚着をして、これから出掛けようと思います。それでは、今日はこの辺で失礼します‥‥。

懐かしい曲に涙する

今日は、午後6時30分から松山市内の「ひめぎんホール」で開催された、

明治大学マンドリンクラブ第61回松山定期演奏会」に行って来ました。


この明治大学マンドリンクラブ定期演奏会には、ほぼ毎年のように出席しています。

というのも、現役時代、一緒に仕事をした仲間が明治大学OBで、

この時期になると、かならずチケット購入の勧誘があるからです。

もちろん、それだけの理由で出席しているわけではありません。

プロ顔負けのマンドリンクラブの素晴らしい演奏は、いつもジーンと胸に迫るものがありますし、

そもそもは、関東大学ラグビー対抗戦グループや東京六大学野球での

熱戦の歴史を通じて、私は母校の早稲田大学だけでなく、

ライバルである明治大学のファンでもあるからです。


そして、これからは、今日の定期演奏会の感想です。

古賀政男さんの不朽の名作「影を慕いて」のギターとマンドリンの調べを聴くと、

いつものことながら、なぜか亡き母を思い出して、目頭が熱くなります。

また、今回のゲストは、私と同世代の太田裕美さんでした。

「雨だれ」「赤いハイヒール」「9月の雨」「木綿のハンカチーフ」など、

私が大学生の頃に流行った名曲を、マンドリンクラブの演奏をバックしてに歌われました。

懐かしい青春時代が走馬灯のように蘇って、いたく感動した次第です。

なお、今日の太田さんは、キュートな歌声はさることながら、

純白のドレスがとてもお似合いで、いつまでも若々しく、

私にとっての永遠のアイドルであることを再確認しました。


それにしても、大学時代に夢中で買った、

「赤いハイヒール」や「木綿のハンカチーフ」のシングルレコードは、

いったい私は、いつどこで失くしてしまったのでしょうか‥‥?

今となっては、とても残念でなりません‥‥。

f:id:miyoshi_s:20180309234533j:plainf:id:miyoshi_s:20180309234554j:plain