しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

おそるべき「執念」と「才能」

旧聞に属する話題で恐縮ですが、今月2日の朝日新聞天声人語」と日経新聞「春秋」は、

いずれも愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から脱走した受刑者に関連したコラムで、

天声人語」は日本画家の故・平山郁夫さんの著書を、

「春秋」は林芙美子の「放浪記」を、それぞれ次のように引用していました。


『群青は、深い透明感のある青で、現実にはない色である。

 だから仏教画のように、幻想の世界を描きたい時には適していると、

 日本画家の故・平山郁夫さんが著書で述べている。

 そしてその色は、生まれ育った瀬戸内海・生口島(いくちじま)で見た

 海の色につながっているのだと。

 そんな島々を結んで「しまなみ海道」が開通したのが1999年である。

 群青そして緑の色を存分に使って、海道のある風景を描いた平山さんは、こう書き残している。

 「飛石(とびいし)を行く夢の橋」「神話の物語が、夢が、現実に出現している」

 さて彼には、そんな景色が目に入っていたかどうか。刑務所から逃げ出し、

 しまなみ海道を車で北上、向島(むかいしま)に潜伏していた平尾龍磨容疑者である。

 23日間に及ぶ逃走の末に、逮捕された。

   ~ (中略) ~

 平山さんは潮の流れが止まる時のことを「神秘的ともいえる静穏さ」と表現した。

 泳いで島から脱出したという容疑者も、そんな海を渡ったのか。

 春の安らかさを引き裂いた日々が、ようやく終わった。』


『「海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい」。

 林芙美子の「放浪記」の、有名な一節である。

 山陽本線でこの町に入っていくときの車窓は、いまも往時とさほど変わらない。

 「緑色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている」

 広島県尾道市の市街が対面する水道は、じつに狭い。目の前に向島が横たわっている。

 「緑色の海向こう」とは言い得て妙なのだ。

 そんな具合だから、向島に潜んだ脱走受刑者が泳いで本州側に渡るのは十分に予想できた。

 案の定と言おうか、男はまんまと捜索網をかいくぐっていた。

 騒ぎのさなか、雨の夜だったらしい。

   ~ (中略) ~

 受刑者は盗みを重ねて服役するも、

 模範囚として「塀のない刑務所」で作業に携わっていたという。まだ27歳。

 そう遠くない将来に社会復帰が許されるはずだったろうに、なぜこんな挙に及んだのか、

 背景に何があったのか。最後は観念して路上で組み伏せられた男の、

 23日間のすさまじき「放浪記」に嘆息が収まらない。』


今回の脱走事件で感じたことが二つあります。

一つは、新聞やテレビのニュースで、

愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場」というフレーズがくり返し報道されたことで、

愛媛県」と「今治市」は、全国的にずいぶんとその名前が知れ渡ったということ。

もっとも、「加計学園問題」と同様に、あまり良いニュースでないのが残念です。

二つ目は、防犯カメラ等の普及が進み、ある意味、監視社会ともいうべき今の日本で、

23日間も警察に捕まらずに逃げ続けることができたという

脱走受刑者のおそるべき「執念」や「才能」ともいうべきもの。


この「執念」と「才能」を、できれば「世のため人のため」に使ってほしかったです。

まだ27歳だとか‥‥。更生への再チャレンジの時間は、たっぷりあると思います。

箱根家族旅行顛末記(続き)

昨日からの続きです。

箱根湯本では、荷物キャリーサービスを利用しました。

手荷物を有料で宿泊先まで届けてくれるサービスで、キャリーケース3個を預けたので、

その後の移動が随分と楽になりました。


箱根湯本から桃源台までは箱根登山バスで向かいます。

桃源台までは約50分、途中のヘアピンカーブや仙石原の雄大な景色が印象に残っています。

桃源台で昼食を済ませ、いよいよ芦ノ湖を遊覧する海賊船に乗船です。

娘が気を利かせて、特別船室のチケットを購入してくれたので、

往復1時間10分の船旅を広々とした船室でゆったりと過ごすことができました。

特に、孫娘は、船室と展望デッキとを何度も行き来して、とても嬉しそうでした。

芦ノ湖から見えた富士山は、それはもう感動的で、

その荘厳な雄姿を、私は一生忘れることはないと思います。

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桃源台からはロープウェイで大涌谷と早雲山に向かいます。

乗換駅の大涌谷で約1時間休憩し、早雲山へと向かいましたが、

ロープウェイ乗り場は、大勢の観光客で長蛇の列でした。

早雲山で降り、迎えに来てくれた車に乗って、宿泊先の「円かの杜」に到着したのが午後5時前。

ようやく一息つくことができ、家族全員に安堵感が漂います。

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旅行二日目の宿泊先「円かの杜」は、とても心温まる旅館でした。
(下の3枚の写真は、「円かの杜」のHPから引用させていただきました。)

ここでは、かつて経験したことのない上質の接客サービスと

美味しい食事、そして源泉の個室露天風呂や大浴場・露天風呂などを堪能することができました。

ただ、大浴場・露天風呂への車椅子での移動が、ちょっと大変だったのが唯一の難点でした。

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旅行最終日の4月30日(月)も、良い天気に恵まれました。

午前10時に出発して、旅館が用意してくれた車で強羅駅へ。

強羅駅から箱根湯本までは箱根登山線で山麓を下っていくのですが、

車窓から見える木々の新緑が、神様が授けてくれた色彩のように眩しく、かつ美しかったです。


箱根湯本の喫茶店で軽い昼食を済ませ、ここから本格的な帰途につきます。

ところが、ここからが大変でした。

まず、箱根湯本駅では、小田急線の小田原・新宿間の一部区間で通行止めという報に接しました。

その影響もあってか、小田原までは無事にたどり着いたものの、

小田原から横浜までのJR湘南新宿ライン特別快速はほぼ満員の状態で、

父は自分の手押し車に座り、孫娘はキャリーケースを椅子代わりに使用することになりました。

さらに、横浜から京急線に乗り換え、青息吐息でたどり着いた羽田空港では、

機種変更に伴って、搭乗手続きにちょっとしたトラブルがあり、

その結果、家族全員がバラバラの席に座ることになってしまいました。後味の悪い結末です。


三日間の箱根家族旅行を終えて、いくつかの感想があります。

父は、こちらが用意したタイトな旅行日程に関わらず、

一度も不平不満を言うことがありませんでした。私にはとても真似できそうにありません。

また、「円かの杜」の大浴場・露天風呂の眼前に拡がる雄大な景色を、

穏やかな表情で眺めている父の横顔をふと見た時、

幾度か迷ったけれど、ここに連れて来てよかったな‥と、心からそう思いました。

私にとっては、これが最初で、そして、おそらくは最後になるかもしれない親孝行ができました。


終わりに、今回の家族旅行の航空機や宿泊先の手配、

さらには、旅の初めから終わりまで、父の介添えを献身的にしてくれたのは妻と娘でした。

そして、孫娘は、終始、屈託のない笑顔を私たちに振りまいて、旅を一段と楽しいものにしてくれました。

改めてこの三人に、「感謝の誠」を捧げたいと思います。

面と向かってお礼を言っていないけれど、楽しい思い出を作ってもらって、本当にありがとう‥‥。


【追 記】

今回の旅行で大活躍したのが、父が愛用する「手押し車」と「杖」です。

これらがなければ、スムーズに移動することはできなかったと思います。感謝、感謝です!

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箱根家族旅行顛末記

季節はずれに引いた風邪で、寝床に臥せること丸一日、

今日になってようやく、「箱根家族旅行顛末記」を書く体力と気力が回復しました。


旅行初日の4月28日(土)、松山空港午前9時45分発ANA584便で羽田空港へ。

羽田空港には午前11時ピッタリに着陸しましたが、お天気が良かったせいか、

飛行中、機体は静かで全く揺れることがありませんでした。こんなこと滅多にありません。

羽田空港で簡単な昼食を済ませ、宿泊地の新宿へ。

どの交通手段で新宿まで行くか迷いましたが、足腰の弱い父のことを考え、

結局、乗り換えのないリムジンバスを選択しました。

また、連休初日で交通渋滞も心配でしたが、都心の道路の流れはかえってスムーズでした。


初日の宿泊地を新宿に選んだのは、小田急ロマンスカーで箱根まで行きたかったからです。

ところが、ロマンスカーの座席を予約するのをすっかり忘れていて、

29日(日)の午前中の箱根行きの便は、一週間前にはすでに満席の状態でした。

新宿に到着後、一縷の望みを託して小田急の案内所に行ってはみたものの、やっぱりダメでした。

初日に泊まったのは、JR新宿駅南口近くの「JR九州ホテルブラッサム新宿」。

車椅子がスムーズに入れる広い部屋で、バイキングの朝食がとても美味しかったです。

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旅行二日目の4月29日(日)は、午前8時53分発のJR湘南新宿ライン特別快速で小田原へ。

新宿駅のホームで先頭に並び、到着した電車からは大勢の人が降りたので、

小田原までの約1時間20分、5人全員が座ることができました。

電車で横浜方面に向かうのは随分と久しぶりのことで、車窓から見える横浜の街並みを見ながら、

弟の代わりに、横浜国立大学の合否結果を見に行ったことや、

高校時代の女子クラスメートを案内して、山下公園外国人墓地を散策したことなど、

若かりし頃の自分を懐かしく思い出しました。


小田原駅では、自動券売機で「箱根フリーパス」を購入しました。

(下の画像は、箱根フリーパスで自由に乗り降りできる乗り物で、「箱根ナビ」からの引用です。)

大人一人4千円、子ども一人千円の料金がクレジットカードで購入可能なことにびっくりしました。

小田原から箱根湯本までは箱根登山線に乗り換えます。

午前10時47分の出発直前に乗ったため、車内は満員状態でしたが、

ドア付近に座っていたインド人らしき外国人の方が、杖を持った父を見つけて、

すばやく席を譲ってくれました。旅先で出合った優しい心遣いがとても有難かったです。

満員電車の中は、大勢の外国人がいて、海外旅行に来たような感覚でした。

箱根が外国人観光客に、これほど人気があることに驚いた次第です。
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ここまで書いて、さすがに疲れてきました。旅の続きは、また明日書くことにします‥‥。

強行軍のダメージは大きく‥‥

強行軍だった家族旅行のダメージは、思ったより大きいものがありました。

というのも、今朝から喉が痛くて、くしゃみと鼻水が止まらず、身体も熱っぽかったので、

体温を測ったところ、やっぱり微熱がありました。どうやら風邪を引いたみたいです。

年度末と年度始めが何かと気忙しかったので、ここにきて疲れが一気に出たのかもしれません‥。


今日はお天気が回復したので、久しぶりに散歩がてら西の海岸に夕陽を見に行きたかったし、

映画館に映画も観に行きたかったのですが、とてもできそうな状態ではありませんでした。

どうやらゴールデンウィークの後半は、「自宅療養」の日々となりそうです。(トホホ)

やはり普段から身体を鍛えておくべきですね‥‥。


さて、話は変わりますが、昨日は娘と孫娘が我が家に夕食を食べに来ました。

下の絵は、夕食前に、孫娘がほんの2~3分の間に描いた私の似顔絵です。

これが小学一年生の絵として、稚拙なのかそうでないのか、私にはよく分かりませんが、

ただ見ているだけで元気が出てくるのが、不思議といえば不思議です。

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戻らない日常生活

ゴールデンウィーク谷間の昨日と今日は、

箱根家族旅行の疲れが身体全体に残っていることもあって、ちょっとタイトな勤務となりました。


また、3日間も家を留守にしていると、日常生活を元に戻すのが大変です。

特に、3日分の洗濯物が大量だったので、一度に干すハンガーがなく、

今日になってようやく片付けることができました。

でも、せっかく洗濯したのに、こういう時に限って外は雨なんですよね‥‥。(トホホ)


さぁ~、明日からゴールデンウィークの後半が始まります。

明日は身体を休めて、体力が回復したら、箱根家族旅行の顛末記を書きたいと思います。