今日の日経新聞「大機小機」は、「シニアよ大志を抱け」でしたが、
その内容は、とても面白く?といっては失礼で、示唆に富む記事でした。
少し長くなりますが、記事を引用させていただきます。
『自由業や第1次産業に従事していれば60歳代はまだ働き盛りであるが、
勤め人の場合はお役御免となる。
しかしこの年齢の大方はまだまだ元気である。
晴れて引退して一時は趣味や娯楽に興じても、
いずれ有り余る体力と気力を持て余すことになる。
そうなると「きょうよう」と「きょういく」が大事、
すなわち「今日用事がある」「今日行く所がある」が大事ということになりかねない。
今の60歳代は団塊かその上の世代であり、
高度成長期以降の日本経済を支えてきたという自負を持つ半面、
自分の子育てに十分な時間を割けなかったケースも多い。
あるいは、資産を形成する機会にも比較的恵まれ、
年金の受給年齢になって、年金を受け取ることは当然という思いの半面、
自分は今の若者に比べ恵まれているという、後ろめたさも感じているのではないだろうか。』
う〜ん、参りました…。
これほど見事に団塊の世代の気持ちを代弁している記述はないのではないでしょうか?
特に、「きょうよう」と「きょういく」という言葉の使い方には、とても説得力があります。
このことは、団塊世代に続く私達世代にも当てはまると思います。
また、「自負」と「後悔」、「当たり前」と「後ろめたさ」は、
今の50歳代後半以上の世代は誰しも、
厳しい環境に置かれている若者に対して抱く、ごく自然の感情ではないかと思います。
そして、記事は、次のように続きます。
『そうした複雑な思いを胸に、
60歳代のシニアの多くは、社会との関わり方を模索している。
自らの世界にこもるのではなく、まだ社会でやれる、やり残しがあるという思いで、
機会があればこれまでと違う分野で、社会にもう一度貢献したいとの思いを持っている。』
そうなんです。
私自身も、ようやくこの歳になって、
仕事をリタイアした後も、
なんとか社会に恩返しをしたいという思いを強く抱くようになっています。
「在素知贅(ざいそちぜい)」
「志は高く、生活は質素に」という意味だと理解していますが、
老後は、たとえ社会に恩返しができなくても
せめて若い人に迷惑をかけずに生きていければいいな…と思っています。
そのためには、しっかりと「老いじたく」をする必要があります。