しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「無知」と「学び」

昨日の続きです‥。

5月1日(水)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、内田樹さんの

「知的であるためにはある種の無防備さが必要だ」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『無知とは知識の欠如でなく、ジャンクな情報で頭がぎっしり詰まっていて

 新しい情報の入力ができない状態のことだと、思想家・武道家は言う。

 これに対し、学びとは、入力があるたびに

 それを容(い)れる器そのものの形状や容積が変化してゆくこと。

 危うくもあるこのプロセスを、生徒らが傷つくことなく通過できるよう慮るのが教育だと。

 「だからあれほど言ったのに」から。』


はぃ、「無知」と「学び」についての含蓄に富むお言葉です‥。

私はいつも「知に無防備」なんだけど、器の形状や容量が変化していないのかしれません。

「学び」ができていないということかしら‥‥?