今月22日(木)の日経新聞「春秋」には、
大阪梅田の阪急百貨店が、建て替え工事を経て、
全面開業したという記事が掲載されていました。
記事では同時に、
「ターミナル」百貨店の創業者・小林一三氏とダイエー創業者・中内功氏の
次の逸話が紹介されていました。
『中内氏は中学生のころ、
母親が苦しい家計をやりくりして梅田の阪急百貨店で食べさせてくれた
25銭のライスカレーの味を忘れなかった。
カレーを食堂のメニューに取り入れ、百貨店に来る客をいっそう増やしたのも小林氏だ。
休みなく知恵を絞り続けていたようだ。』
デパートといえば、私にも懐かしい思い出があります。
小学生の頃、滋賀県大津市に住んでいましたが、
時々、両親が京都のデパートに連れて行ってくれました。
そのデパートの名前は、「丸物百貨店」だったと記憶しています。
私と5歳年下の弟は、デパートの食堂で昼食を食べるのがとても楽しみで、
私はオムライス、弟はホットケーキを必ず注文し、
食後にはソフトクリームを食べるのが定番でした。
ソフトクリームを初めて食べた時には、
「この世の中にこれほどおいしいものがあるのか!」といたく感動しました。
1965年前後の我が家にとって、
デパートで外食することは、
当時の父の薄給を考えると、とても贅沢な行為ではなかったのでは?…と思うのです。
そしてデパートという「箱物」も、子どもの私にとって、夢のような世界であったのです。
翻って、自分の娘には、
「夢のあるような場所に連れて行ったことが、かつてあったのだろうか…?」
そう自問自答しても、答が見つかりません。
自責と後悔の気持ちで一杯です。