アメリカによるシリアへの軍事介入が、
「どのような大義があれば許されるか」について考えていたところ、
昨日(5日)の日経新聞「経済教室」を読んで、その答えの輪郭が見えてきました。
今回の「経済教室」の執筆者は、小和田恒・万国国際法学会会長で、
タイトルは、「国際法の課題㊤〜国家主権との調和探る」でした。
ユーゴスラビアやルワンダにおける大虐殺、コソボにおける非人道的弾圧、
さらには、最近のリビアやシリアにおける国家権力による実力行使など、
国際秩序の基本である「人間の尊厳」を無視する非人道的な大量殺戮行動を黙認することは、
国際社会の法秩序の観点から許されないとする考え方が急速に高まっているそうで、
『「人間の悲劇」とも呼ぶべき異常な状況を排除するために、
国際社会は国連安全保障理事会による制裁行動に一任しておいてよいのか。
極限的な状況では、国際社会の名において行動する国家集団による実力行使も
正当化されるのかという問題が、国際法における「新しい人道的介入」の法理、
あるいは「保護する責任」のドクトリン(原則)という形で、
世界の国際法学者の間における最も今日的なテーマとして、
激しい議論の対象になっているのである。』
このように小和田会長は述べられています。
小和田会長によると、
「主権独立・内政不干渉」を前提とする
17世紀半ばから続く国際法秩序の基本的な制度的枠組みを、
「ウエストファリア体制」と呼ぶのだそうですが、
この制度的枠組みは、現在の国際社会に生じている次の二つの大きな激動の中で、
本質的なチャレンジの前に立たされているそうです。
①グローバリゼーションの波
②国際社会も人間社会である以上、
その究極の主体は一人ひとりの人間であるという自覚から生まれた
ヒューマニゼーションのうねり
①は、地球気候変動の規制や国際金融体制の構築の問題が典型的な事例で、
②は、上述の「人間としての尊厳」を蹂躙するような非人間的人権侵害行為、
すなわち、今回のシリア政府による化学兵器使用疑惑に、
国際社会がどのように対処すべきか、という問題つながるものだと思われます。
折しも、G20首脳会議が開催中です。
オバマ大統領は、化学兵器使用に「国際社会は沈黙は許されない」との立場、
これに対しプーチン大統領は、
国連安保理決議に基づかない武力行使は「国際法違反」との立場です。
「新しい人道的介入」のアメリカを支持するか、
それとも「主権国家・内政不干渉」のロシアを支持するか、
国際社会は今、重い「問いかけ」を突き付けられています。
そういう私はどう思っているのか?
う〜ん、……。もうしばらく考えてみることにします。