「ヘラジカ」、「ヘラジカの子の耳」、「ベトナムの結合双生児」、
「大君」、「過去のマリと現在のマリ」……。
これらが何を意味するのかさっぱり分からなくて、
途中、何度も投げ出しそうになりましたが、
我慢強く「最終章」まで読むことができてホットしています。
この「最終章」は、とても読み応えがありました。
言うまでもなく、この本の主題は「天皇の戦争責任」です。
その「天皇とは何か」について書かれた、次の文章が忘れられません。
『私は今、崩れゆく氷の上に立ち、沈みゆくような気持がしている。
そして知った気がする。
天皇の何たるかを問うたなら、
自分の立つ場所がなくなる感覚に襲われるだろうと。
そしてこれが、私の国の大人が天皇を語ってはいけないことにして
それを決して問わなかった理由であった気がする。
「天皇が日本の象徴である」と口にするのは簡単なのだが、
その意味を私たちの誰も本当には実感しておらず、
本当にそれを問うたら、日本とは何かを問わなければならない。
自らは誰かと、答えなければならない。
そして自分は誰でどこから来て、日本人とは何かを、私は答えられない。
ただ、日本人に生まれついたというだけだ。
そしてそのことを誇れるように私は育てられなかった。決して、誰にも。』
ただ、主人公マリの母に対する「殺意」は何だったのか、
最後の最後まで私には理解できませんでした。
この本は、「司馬遼太郎賞」、「毎日出版文化賞」、「紫式部文学賞」を
受賞していますが、一般読者の評価は、真っ二つに分かれるような気がします。
なにせ、最後まで読み通すのには、一種の「苦痛」を伴いますから……。