昨日7日の朝日新聞「折々のことば」では、
京都生まれの経済学者・大竹文雄さんの言葉が紹介されていました。
『まちの人が求めるのは、そこにないもの。
よその人が求めるのは、そこにあるもの。』
この言葉について、鷲田清一さんが、次のように解説されていました。
『夏はまるで蒸し風呂のよう、冬はすきま風に打ち震える京都人は、
穏やかな海に面した温和な気候と空調のきいたマンション生活に憧れる。
が、外の人は自然とうまく折りあいをつけてきた京都の知恵と風情に憧れる。
地の人にとってありふれたものも
じつは無数の試練を経てたどり着いた一つの達成である
と気づかせてくれるのは、外の人だと、京都生まれの経済学者は言う。』
京都といえば、私は大学受験のため、一年間の浪人生活を送りました。
鷲田さんの解説にあるように、
京都の夏はまるで蒸し風呂のように暑く、
また、京都の冬はまるで冷蔵庫の中にいるように底冷えしました。
その一方で、四季折々の京都の風情を味わう精神的な余裕は、
視野の狭い当時の私にはありませんでした。
勉強で疲れた時に、賀茂川の河川敷を散歩したり、
予備校の寮の近くの下賀茂神社を散策したりするのが、
数少ない息抜きだったように思います。
それはさておき、この記事を読んで、
生まれ故郷である今の我が町は、
「よその人」から見てどのように映るのかを考えました。
松山市のベットタウンである我が町には、
これといった観光資源や観光名所がないのが難点だと思うけれど、
また、我が町には山林が全くなく、災害のおそれがほとんどありません。
その我が町では、先月、町を二分するような激しい町長選挙がありました。
新町長の任期は、いよいよ今月11日から始まります。
「まちの人が求める、そこにないものとは何か」
「よその人が求める、そこにあるものとは何か」
町政を推進するうえで、
大竹さんの「ことば」がとても参考になるような気がします。