昨日のこの日記で、安岡正篤先生の言葉を引用したところ、
タイミングよく、今日7日の日経新聞「文化」欄に、
安岡先生のお孫さんである安岡定子さんが寄稿されていました。
記事によると、定子さんは、京都のお寺で、子どもたちやその保護者を対象に、
寸松(すんしょう)塾という論語塾を、月に一度開講されているとのことでした。
また、記事のなかでは、安岡先生のお人柄などが、次のように紹介されていました。
『「わからないことがあったら、何をどうやって調べたら、
その答えがわかるのか、それを学ぶのが本当の学問だ」。
祖父・安岡正篤はこんなふうに語っていた。
陽明学者・教育者だった祖父は家では穏やかで寡黙な人だった。
私にとっては薄暗い書斎での静かな姿が印象的だ。
祖父から直接薫陶を受けたことは殆どないが、
祖父の存在そのものが私の拠り所だ。』
さて、私が安岡先生の著書に出合ったのは、今から30年以上前のこと。
十二指腸潰瘍で胃を切除して入院していた時に、
職場の同僚でもあり、高校の同窓生でもある知人から、
『活眼活学』(PHP研究所)という単行本をお見舞いとしていただきました。
それ以降、安岡教学の魅力に引き込まれてしまい、
難解だけれども読みごたえのある関連書籍の読破に次々と挑戦しました。
今現在は、朝のトイレのなかで、
二冊の「一日一言」に目を通すのが日課となっています。
先ほどの定子さんは、論語について次のようにおっしゃっています。
『中国では為政者の帝王学。一方日本では生きるための哲学書。
古来、多くの人に愛されてきた。
「論語」の骨子を体得した塾生が成長し、社会に出て行く日が楽しみだ。』
明日の日本を担う次世代の子どもたちに、脈々と受け継がれています。