今日は、後任者への引継ぎを済ませました。
選抜高校野球では、四国で唯一勝ち残っている高松商業がベスト4に進出するなど、
私にとってはうれしい出来事が続いているのですが、
年度末・年度初めのこの時期は、
仕事に限らず飲み会などがあって、毎年なにかと慌ただしく、
開花し始めた桜をじっくりと愛(め)でるような「心のゆとり」がありません。
この時期の唯一の楽しみや安らぎは就寝前の読書なのですが、
本を読んでいてもいろいろと雑念が混じって集中できず、
ページをいたずらにめくっているようにも思います。
私淑する安岡正篤先生は、
『読書はただ読むだけでは駄目で、
読みながらもその本を自己内部で賦活する必要がある。
これを活読という。
読みっぱなしならば、むしろ本に読まれていることになる。』
とおっしゃっています。
一言で読書といっても、安岡先生の言われている「本」とは、
おそらく「大学」や「論語」など、格式・格調の高い書物だと思われます。
真の教養人・知識人というか、一角の「人物」となるためのハードルは、
限りなく高いものがあります。