先日のこの日記で、海の「はかり知れない深さ」のことに触れました。
今日3日の朝日新聞「天声人語」の次の文章を読んで、
「海」を例える際には、別の意味の「深さ」があることに気付きました。
『いじめ問題で取材をした小学校の先生が、
クラスを「海」にたとえていたことを、かつての小欄で触れた。
教壇から毎日見下ろしていると、何でもわかるような気になる。
しかし子どもの世界という深い海の中で、
何が起きているかをつかむのは本当に難しい、と。
ネットの時代、少年少女が漂う海はいよいよ深く見えにくい。
学校外はなおさらだ。』
いうまでもなくこのコラムは、
例の川崎市で起きた事件に関してのものです。
子どもの世界を「深い海」に例えるならば、
「学校としてもう一歩踏み込めなかったかと思われてならない。」
というコラムの御指摘は、ちょっと酷なような気もします。
あぁ……、それにしても、
事件の真相が次第に明らかになるにつれ、
なんともやるせない思いが募ります……。