「追悼のコラムにこそ、コラムニストの真骨頂が発揮されるのではないか」、
『苦海浄土』の著者、石牟礼道子さんが昨日10日、90歳でお亡くなりになったのを受けて書かれた、
今日11日の朝日新聞「天声人語」と日経新聞「春秋」を読んでそう思いました。
それぞれのコラムには、次のようなことが書かれていました。
『訃報(ふほう)に接して、十数年前の取材ノートを読み返してみる。
「患者さんは病状が悪いのは魚の供養が足りないからと考える。岩や洞窟を拝んだりする」
「それを都会から来た知識人は無知で頑迷だと言う。私はそうは思わない。
患者さんは知識を超えた野性の英知を身につけています」
代表作『苦海浄土』の題に込めた思いを自ら語る。
「患者さんの家に通い、絶望の極限を見た。地獄から抜け出すには浄土へ行くしかない。
希望の見えない日々でした」。
水俣の人々の言霊(ことだま)を心でとらえ、世に問い続けた人生であった。』(天声人語)
『自分が描きたかったのは「海浜の民の生き方の純度と馥郁(ふくいく)たる魂の香りである」。
すでに水俣病の公式発見から50年近くがたっていた2004年、そう書き残している。
患者らの中には「もう何もかも、チッソも、許すという気持ちになった」
「チッソの人の心も救われん限り、我々も救われん」と語った人もいたという。
「人を憎めば我が身はさらに地獄ぞ」。石牟礼さんは患者のこんな言葉も書き留めている。
近代文明の「業(ごう)」の犠牲となった漁民らは苦しみ、戦い、そして最後はゆるすまでに至った。
その過程に人間の気高さがあらわれている。
憎悪や分断に常にさらされる世界で「生き方の純度」や「魂の香り」の意味を問い続けたい。』(春秋)
私が『苦海浄土』を初めて読んだのは大学生の頃‥‥。
世の不条理に対して、「やるせない思い」と「ぶつけようのない怒り」を抱いた時期でもありました。
そして、一昨年9月、批評家・若松英輔さんが書かれたNHKテキスト『100分de名著』を読んで、
再び「苦海浄土」の世界観を知ることになりました。
このテキストで若松さんは、次のように書かれていました。
『本当に大切にしなくてはならないものを私たちは、大事にできないことがある。
それらはしばしば、声を上げることもなく、静かに存在しているからです。
海や山などの自然やそこで生きる小さな生き物たち、
あるいは真実を目撃しながらも語ることを奪われた人々など、
繊細な、寡黙なものたちの声に近代社会は十分に耳を傾けることができなかったことがある。
そればかりか、そうしたものたちに大きな苦しみと悲しみをもたらしてきた歴史がある。
これから皆さんと読む「苦海浄土」には、水俣病によって苦痛と悲嘆と沈黙を強いられた人たちが
たくさん出できます。語り得ないものたちの声にどう向き合えるのか。
それが「苦海浄土」を読むときに最も重要な問題となってきます。』
こうした視点で、私が読んだ二つのコラムも書かれていたように思います。
そして、このコラムを読んで、『苦海浄土』を手に取り、
世の中の不条理について思いをめぐらす若者が増えるといいですね‥‥。