昨日3日の朝日新聞デジタル版に、
『三島由紀夫、知られざる青年論 割腹自殺の前年、地方紙にエッセー』
というタイトルの記事が掲載されていました。
その記事には、次のようなことが書かれていました。
『作家の三島由紀夫(1925~70)が、割腹自殺する約2年前に
「現代青年論 “弱い父親”への反逆」と題したエッセーを残していたことがわかった。
青年には自己処罰の欲求がある、青年は今も昔も
「自分は決して人に理解されない」と信じている、などと三島独自の若者論が書かれている。
5日発売の文芸誌「新潮」に掲載される。エッセーは400字詰め原稿用紙約7枚分。
69年1月1日に一部の地方紙に掲載されたが、単行本や全集には未収録で、
専門家にも存在を知られていなかった。
大阪大学の斎藤理生准教授(日本近代文学)が京都新聞の文芸欄を縮刷版で調べていて今年1月、
偶然見つけた。全集には同じタイトルのエッセーがあるが、内容は異なっていた。
三島は当時、学生たちと陸上自衛隊に体験入隊し、前年には「楯の会」を結成、
その後東大全共闘との討論会に参加するなど若者との対話の機会が多かった。
エッセーでは、体験入隊の手応えから
「今の青年は、体で説明されたことしか信じないのではないか」とつづり
「青年には自己処罰の欲求があって叱られたい、罰せられたい、
というマゾヒズムが心中深くひそんでいる」と分析。
「彼らを真に満足させるものは、革命の成功(それは何という退屈な局面だろう!)よりも、
実は断固たる処罰ではないだろうか」とも書いていた。
翌70年11月、三島は自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入、クーデターを呼びかけて割腹自殺した。』
う~む‥‥‥。(沈黙)
「革命の成功よりも、断固たる処罰」というのは、どのように解釈したらいいのでしょう?
「自己処罰」「マゾヒズム」の極致が「割腹自殺」なのでしょうか?
私にはさっぱり分かりません‥‥。
ただ、「青年は今も昔も自分は決して人に理解されないと信じている」というのは、
自分の高校、大学時代を振り返ると、なんとなく理解できるような気がします。
記事を読んで、その死後、何年が経過しようとも、やはり存在感のある偉大な作家であることを、
改めて認識した次第です。