昨日はこの日記を書くことができませんでした。
友達夫婦2組を我が家に招待して、午後4時から始めたホームパーティーが終わったのは午後10時過ぎ‥‥。
その間、楽しいおしゃぺをしながら、ビールとワインを飲み続けたところ、
案の定というか、前後不覚に酔いつぶれてしまいました。今日も二日酔いです‥‥。(トホホ)
さて、この大型連休を利用して、ビデオに録画しておいた番組を順次視聴しています。
今日は、今月6日に放映されたNHKスペシャル「平成史スクープドキュメント 」の第6回目、
『東京 超高層シティー 光と影』を視聴しました。
1年に数回の出張で東京に行くたびに、どこかでビルが建設中で、街の変容ぶりに驚く私ですが、
番組HPによると、平成に完成したビルは100棟に迫り、続々と建設が進んでいるそうです。
平成の初めにバブルがはじけ、地価が暴落して不良債権の山と化した東京が、
なぜ「失われた20年」の中で超高層シティーへと姿を変えているのか‥‥。
それは、平成前半に行われた民間の2つの再開発がターニングポイントだったとして、
次のように書かれていました。
『一つは「丸の内」。特定の区域内の土地の容積率を“買う”という国内初のウルトラCで
新丸ビルはじめ6棟の超高層が建った。
もう一つは「六本木ヒルズ」。莫大なコストを覚悟の上で、法定基準以上の耐震性能を施し、
グローバル企業の日本離れを食い止めた。』
高層都市化は、バブル崩壊後に日本が生き残るための数少ない処方箋だったようですが、
「開発が進む東京に対して、地方の開発が取り残されているのは問題ではないか?」
という番組キャスターの問い掛けに対し、高層都市化を進めた竹中平蔵さんの次の答えが印象に残りました。
・厳しい言い方かもしれないが、人口減少が進む日本では、
すべての共同体すべての集落を維持するというのは、算数の上ではどうしても無理。
・上海など世界との都市間競争では東京も大変。立ち止まってやれやれと言っている状況ではない。
う~む‥‥。都市と地方とのバランスある開発・発展は、やはりできないものなのでしょうか?
一国民の私には、その解決策が分かりません‥‥。