今日の日経新聞一面コラム「春秋」を読んで、感染症法に「前文」があることを知りました。
コラムには、次のように書かれていました。
『「人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた」。
1998年に成立した感染症法には、なかなか格調高い前文が置かれている。
感染症の根絶は人類の悲願だと指摘し、しかし脅威はいまも続くと説く。
そして何より、こう訴えるのだ。
日本では、過去にハンセン病やエイズ患者などへの「いわれのない差別や偏見」が存在してきた。
その事実を「重く受け止め、教訓として今後に生かす」必要がある‥‥。
実務的な法律らしからぬ文章は、感染症の歴史が差別と偏見の歴史であったことを示していよう。
しかしコロナ禍は、またも多くの過ちを招いている。
「自粛警察」や「マスク警察」が相変わらず目を光らせ、SNSには感染者の個人情報が出回る。
クラスターが発生した店や学校へのバッシングはひどくなるばかりだ。
医療従事者への嫌がらせも絶えない。背景にあるのはムラ社会の同調圧力か、思考力の減衰か。
危機のなかで浮かび出た、悲しき「日本モデル」である。‥‥』
う~む‥‥。(沈黙)
感染症の克服は、「いわれのない差別や偏見」との闘いでもあったのですね‥‥。
ところで、普段、私たちは、法律の条文に目を通しても、その「前文」を読むことはほとんどないと思います。
「前文」は、法の趣旨や制定した目的、基本原則を書き記したもので、
「教育基本法」や、「少子化社会対策基本法」など、
いわゆる「基本法」と呼ばれる法律に置かれていることを、コラムを読んで思い出しました。
そして、何より忘れてならないのは、「日本国憲法」の「前文」です。
『‥‥われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』
国家であれ、個人であれ、
「全力をあげて自らの崇高な理想と目的を達成すること」は、とても「志が高いこと」ですよね‥‥。
正義とは何か? 公平・公正とは何か? 人間の平等とは何か?
自分が法学部を卒業した人間であることを思い出させてくれた、そんな今日のコラムでした。