しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

追い詰められても方向転換できない

一昨日、19日の日経新聞文化欄に、建築家の隈研吾さんが、

「セルフメイドの空間」というタイトルのエッセイを寄稿されていました。

考えされられる内容だったので、この日記に書き残しておこうと思います。


『コロナというのは、建築空間の長い歴史にとって、ひとつ折り返し地点になると僕は考えている。

 正確にいえば、折り返し地点にしなければいけないと考えている。

 人類が歩んできた建築空間の歴史とは、「集中へ」という一言に要約できる。

 野っ原という、境界も壁もない自由空間を駆け廻り、狩猟採集に明け暮れていた人類は、

 集まって定住を始め、やがてハコの中に詰め込まれて、労働を強制された。

 それが効率的であり、経済的であり、幸福であると信じ込まされて、

 「集中へ」の坂道を転がり続けたのである。

 「集中へ」というベクトルは、平面的に見れば「都市化」であり、立体的に見れば「高層化」であった。

 その行きついた先が20世紀初頭に登場した高層オフィスビルであり、

 その閉じた箱で働くことが社会のヒエラルキーの上位にいることを意味し、誰も疑わなかった。

 しかし、「集中」が心身ともにいかなるストレスを与えていたかを、今回のコロナが気づかせてくれた。

 デジタルテクノロジーはすでに「集中」によらずに、

 効率と幸福をもたらす新しいやり方を示してくれていたにもかかわらず、

 怠慢な人類は、ハコや都市から出ようとはしなかった。

 惰性というのはまことにおそろしい。

 人は追い詰められなければ、方向転換ができない、臆病な動物だったのである。
 
              ~ (中略) ~

 集中を反転した先には分散があり、分散はセルフメイドにつながって空間の民主化

 すなわち空間を自分自身が作る途が開ける。

 コンクリートや鉄という、素人には扱いにくい素材でできた都市から、ついに脱出する時が来たのである。

 そういう方向に舵を切っていけたら、日本の田舎はもっと楽しくなり、

 都市はもっと風通しがいい場所になるのではないか。

 その反転に気付いたことが、2020年の最大の収穫であった。』


はぃ‥、「人は追い詰められなければ、方向転換ができない」。私もその「臆病な動物」の一人です。

それはさておき、隈さんご指摘の

「集中」→「反転」→「分散」→「セルフメイド」は、実現できるのでしょうか‥‥?

「Go Toトラベル」の迷走のように、「追い詰められても方向転換できない」のが、

これまた、「人という動物」でもあるように思います。