しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

幻想を持たずに希望を持つ

天気予報のとおりに、今日は午後から、冷たい雨となりました。


さて、NHKテキスト100分de名著「ディスタンクシオンブルデュー」を読了しました。

テキストの執筆者は、社会学者で立命館大学大学院教授の岸政彦さんです。


ディスタンクシオン」(区別、差異、)、「バビトゥス」(傾向性、性向)、

「界」(象徴闘争が繰り広げられる場)、「文化資本」‥‥。

テキストを読むだけでは難解だったけれど、

テレビを並行して視聴することで理解が深まりました。

以下、テキストで印象に残った記述を、この日記に書き残しておきます。


ハビトゥスとは生まれつきのものではなく、社会的に獲得されるものです。

 ハビトゥスを理解する、といえばなんだか大げさな話になりますが、

 さきほど私は、ハビトゥスとは「それまでの人生の履歴、蓄積」

 「行為のなかに蓄積された過去の履歴」、

 そして「学習と訓練によって長い時間をかけて蓄積された身体の記憶」であると述べました。

 つまり、ハビトゥスを理解するとは、マクロな社会構造や歴史的変動のなかで、

 その人がどのような人生の軌道を歩んできて、

 どのような(広い意味での)合理性を持つにいたったか、ということを理解するということです。


・私たちは深いレベルまでハビトゥスによって、社会構造によって規定されているのです。

 しかし私は、その事実を知ることのほうにむしろ、ある種の「解放」を感じます。

 自由とは、何でも好き勝手にできるとか、どんな自分にでもなれるということではありません。

 持って生まれたものに方向づけられ、生きる社会の構造に縛られ、

 それでもその中でなんとか必死に生きている、自由とはそういうものだと考えているからです。


・自分の自由を制限している構造的な条件づけの、その条件自体を知るということは、

 人間が成し得るもっとも知的で自由な行為であると私は思います。

 自分がどのくらい自由で何ができるのかよりも、

 自分の行為がどのくらい制限されているのか、どうやって制限されているのかを知るほうが、

 私たちを社会構造から解き放ってくれるのではないでしょうか。

 「重力の法則は飛ぶことを可能にする」とブルデューは言っています。

 幻想を持たずに希望を持つ。

 ブルデュー社会学が教えてくれるのは、その姿勢なのです。


このテキストを読まなければ、

きっと、ブルデュー社会学のことを知らないままだったと思います。

さだまさしさんの歌詞ではありませんが、本との出合いも「偶然の風の中」です。