金曜日から雨が降ったり止んだりのお天気が続いていました。
その雨も、今日の午後にはようやく止んで、青空が雲の隙間から顔を覗かせていました。
さて、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、若林恵(けい)さんの、
『未来を考えるということは「いまとちがう時間」ではなく
「いまとちがう場所」を探すことなのかもしれない。』という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『未来社会として描かれるものはたいてい現代の欲望が生む幻影でしかない。
未来を考えるとは、すでに足許(あしもと)に兆し、
萌芽(ほうが)状態で実現していながら、十分に気づかれていないつながりやしくみを育てること。
その意味で未来は「いますでに『どこかに』ある」と、「WIRED」日本版の元編集者は言う。
コラム集「さよなら未来」から。』
う~む、なるほど‥‥。含蓄に富んだ言葉と解説だと思います。
未来は「時間」ではなく、「場所」にあるものなのですね‥‥。
未来は「いますでに『どこかに』ある」という、心の底から勇気が湧いてきそうな言葉を信じて、
また明日から、コロナ禍における「日常」を、私も生きていこうと思います。