朝日新聞デジタル版では、「再考2020+1」の連載が続いています。
今夏に延期になった東京五輪が開幕まで半年を切り、
コロナ禍で開催に懐疑論が出るなか、改めて大会の意義を問い直す、という趣旨の連載で、
有識者の方々が、それぞれ貴重な意見を述べられていました。
少々長くなりますが、次のとおり引用させていただきます。
『‥‥五輪を目指す日本の選手には、外の世界に目を向けてもらいたい。
日本より感染状況が厳しい国は多い。ライバルがどういう状況なのか、どんな気持ちなのか。
SNSなどを使って、互いの現状を確認してほしい。
相手がいなければ、スポーツは成立しないし、ライバルの存在が成長の糧となる。
国民の応援も大きなモチベーションである。
世界で200万人超の死者が出ているという現実を前に、
「五輪は人類がコロナに打ち勝った証し」という言葉がむなしく聞こえる。
「勝たねばならぬ」の精神がここにも見え隠れする。
困難な時こそ、自分のことを考えるように他者にも思いを寄せるということ。
五輪の「参加することに意義がある」は、イベントそのもの以上に、
人とつながることの大事さであるはずだ。』(山口香・日本オリンピック委員会理事)
『‥‥日本で開催を疑問視する声があるのは知っている。
全て一緒にせず理由を精査して対応したい。
海外から選手や関係者が大勢訪れることで新型コロナの感染拡大を心配しているのか、
費用がかかることに反対なのか、そもそも五輪が好きではない方もいるだろう。
ただ、五輪を待ち焦がれている選手が世界中にいることも、どうか知ってほしい。
選手はこの舞台を踏むために長い年月を費やしている。選手と大会がもたらす魅力は不変だと信じる。
日本以外のほかの国では、1年延期は無理だった。
五輪の準備を静止映像のように一度止められても、日本は崩れなかった。ほぼ奇跡だ。
だからこそ、大会が開催できたなら、世界中に共感されると思う。
特に日本はコロナだけではなく、この10年間、多くの自然災害に遭いつらい時期を過ごした。
世界の選手が日本に集い競う姿は、多くの人に訴えるものがきっとある。
今は開催を懸念する人も、厳しい状況でも日本は成功につなげたと、
大会後には感じてくれるのではないか。』(IOC委員のディック・パウンド氏)
『‥‥現状を鑑みれば、「検討の結果、無観客でも仕方がない」ではなく、
「無観客ならどうにかできるのではないか」という議論からスタートすべきだということです。
はっきり言えば、観客や経済効果は大会の枝葉でしょう。
世界から人を呼び、世紀の祭典をやろうというのはもう無理です。
無観客であれば、競技場の中の選手への医療を提供する態勢を取れれば、
対応できなくはないかもしれない。それさえも非常に厳しい状態ですが。
政府の今の発信を見ていると、突然崩壊する建物を造っているような不安を覚えます。
基礎工事や中身がいい加減でも、外壁を張って「五輪をやります」と言っているようです。
政府は大会開催を目標に掲げるなら、
「これならできる」という骨格をつくることが大切ではないでしょうか。
いつまでに感染をこれくらいまで減らすといった具体的な工程表を示すべきです。
ムードだけで「開催したい」と言っても仕方ない。
しっかりとしたデータや目標に基づいて議論を進めないといけません。
それを言わなければ、国民の開催に対する気持ちも否定的なままでしょう。
コロナに打ち勝つといっても、開催後に感染が広まれば台無しです。
そんな事態を招かないよう、考えなければなりません。』(尾崎治夫・東京都医師会長)
う~む、なるほど‥‥。それぞれ、至極ごもっともなご意見です。
なお、さきほどのディック・パウンドIOC委員は、
「再延期はできない。半年後は北京冬季五輪があり、終われば24年パリ夏季五輪の態勢になる。
残念だが、今年開催するか、中止するかの2択だ。」とおっしゃっていました。
私は、東京、パリ、ロサンゼルスを、それぞれ順延するのが一番理想的な解決策だと思うのですが、
そういう選択肢はないのでしょうか‥‥?
いずれにしても、尾崎会長が指摘されているように、
「しっかりとしたデータと目標に基づいて議論を進める」必要があると、私も思います。